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1985年度のプロ野球はペナントレースにおいてセ・リーグでは史上最強の助っ人と呼ばれるランディ・バースが王貞治が達成した年間55本塁打にせまる54本塁打を打った。
また、7試合連続本塁打を打ち、王貞治の記録に並んだ。その後バースは2度の三冠王となり、1986年にはシーズン最高打率0.386を記録している。
1985年には掛布雅之、岡田彰布と強力なクリーンナップを形成。同年4月17日の対巨人戦、槙原寛己からのバックスクリーン3連発は記憶に残るシーンだった。
この年の日本シリーズでは相手が2年ぶりにパ・リーグを制した西武ライオンズは4勝2敗で阪神タイガースが日本一となった。この年、日本シリーズでは阪神タイガースの前に2勝4敗で敗れた。シーズン終了後、広岡監督が自身の健康問題(痛風)などを理由に契約年数を1年残して辞任した。選手ではPL学園の清原和博の指名権を獲得した。ご存じのように甲子園を共に湧かせた桑田真澄は巨人入りをしている。このKKドラフト事件のことは真偽の定かは確証していなので割愛する。
この年の巨人は王監督就任2年目である。西本聖と江川卓は打ちこまれることが多く首位の阪神タイガースには12ゲーム差をつけられてペナントレースフラッグを奪われている。この年には1982年度に入団した斎藤 雅樹(さいとう まさき)が一番の勝ち頭で12勝を挙げている。彼はのちに平成の大エースやミスタ―完投といった名称でよばれた。西本聖は10勝8敗2Sで防御率4.03.江川卓は11勝7敗で防御率は5.28であった。この年かつての3本柱であった定岡正二が近鉄へのトレードを拒み引退した。
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