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王貞治監督辞任 西本聖は中日へ
1988年の読売巨人軍の動向をまとめる。
このシーズンの読売巨人軍は、王貞治監督の5年目のシーズンであり、本拠地が後楽園球場から東京ドームに移った最初のシーズンである。この年巨人軍は中日ドラゴンズに12ゲーム差をつけられて2位に終わっている。
シーズン終了後王貞治監督は就任して5年間のうち一度も優勝していないことを理由に監督の座を藤田元司に明け渡した。
シーズン中は打者に成長した吉村禎章が外野手とぶつかり靱帯断裂の大けがを負った。投手部門では槙原寛己が最多奪三振(187個、初受賞)を獲得している。
西本聖は江川卓というライバルを失ったことや投手コーチとの確執もあり4勝3敗という成績でシーズン終了後、中日ドラゴンズでトレードで放出されている。
この年の日本一は王者の風格が出てきた西武ライオンズである。
中日ドラゴンズを4勝1敗と下した。
この年 西武ライオンズにベテランの平野兼が中日ドラゴンズから移籍してきた。2番を打ち確実に犠打を決める仕事人の役割を果たし西武ライオンズの強力打線にはなくてはならない存在だった。1988年から1992年までパ・リーグで最多犠打王を獲得している。
投手陣では渡辺久信(わたなべ ひさのぶ)が15勝を挙げ、日本ハムの2投手とともに最多勝を分け合っている。
最高勝率(1988年)はオリエンタル・エクスプレスと呼ばれた速球投手、郭泰源(和名はかく たいげん)である。日本プロ野球5年目で13勝も獲得した。
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