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西本が巨人を去って2年目、巨人は藤田元司監督のもと88勝42敗の勝率0.671という驚異的な成績で、2位の広島に22ゲームの大差をつけて独走優勝した。
1990年は巨人投手陣は10勝以上あげた投手が5人いた。
斎藤雅樹 27試合登板(224回・19完投) 20勝5敗 奪三146 防2.17 ☆MVP、最多勝、最優秀防御率、最高勝率
桑田真澄 23試試合登板(186回1/3・17完投) 14勝7敗 奪三115 防2.51
木田優夫 32試合登板(182回2/3・13完投) 12勝8敗 奪三182 防2.71
香田勲男 23試合登板(130回1/3・4完投) 11勝5敗 奪三106 防2.90
宮本和知 28試試合登板(190回1/3・10完投) 14勝6敗 奪三166 防3.69
また緒方 耕一(おがた こういち)が33個の盗塁を決め、盗塁王に輝いている。
しかしながら日本シリーズ選手権では西武ライオンズに4勝0敗とストレート負けをしている。
1990年度 入団初年度からトルネード投法や日本人のアメリカメジャーリーグへの挑戦でパイオニア草分け的存在として有名な野茂英雄(のも ひでお)は18勝をあげ最多勝を西武ライオンズの渡辺久信とタイトルを分けている。また、奪三振287個とタイトルを獲得した。野茂英雄は監督との確執もあり、1995年度に海を越えロサンゼルス・ドジャースに移籍し、12年間メジャー球団を渡り歩き123勝をあげて日米通算で201勝で名球会入りの権利を得た。(返事は保留)
西本聖は1990年度、前年に挙げた素晴らしい数字には及ばす11勝9敗、投球回数は174.1回奪三振数193を奪った。その後、残りの中日での選手時代では思うような成績があげられず、1992年度に自由契約となりオリックスブレーブスに入団し、5勝をあげるが契約交渉で揉め退団した。1994年度に古巣の巨人の入団テストで合格したが 首脳陣の投手コーチの猛烈な反対にあい、登板機会はなかった。
プロ野球投手生活18年で165勝128敗18Sと江川卓が在籍していたときは決してシーズンで勝利数を上回ったことなかった。引退後もあちこちのチームで日本のみならず韓国でもコーチを務めた。江川卓はスポット的に現場にもどるが、年間を通じて正式にプロ野球界に戻ることはなく、解説者として分かりやすい説明を続けている。
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