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1981年10月25日
秋の日はつるべおとし言われるとおり、陽が早く落ちて辺りが暗くなる時間がおおくなってきたこのころ
後楽園球場で日本ハムファイターズの五十嵐信一が投手飛球したのを江川卓(すぐる)がキャッチして、読売巨人軍が八年ぶりに日本選手権を制した。
本拠地をセ・リーグの覇者「読売ジャイアンツ」とパ・リーグの覇者「日本ハムファイターズも後楽園だったため、同居地決戦が行われた。
この日本シリーズの最高殊勲選手:西本聖(にしもと たかし)「巨人」、優秀選手賞に江川卓「巨人」が獲得した。
このシリーズは、晩年にはサンデーモー二ングで御意見番だった故大沢啓二親分こと大沢啓二監督が引きいる日本ハムファイターズがペレ―オフを制してパ・リーグの代表だった。
日本ハムファイターズにはシリーズ請負人として江夏豊や元巨人のシリーズ男である高橋一三がいた。
前年には20勝を挙げて新人王を獲得した木田勇(きだいさむ)、シーズンでは負けなしの15連勝の間柴間柴茂有(ましば しげくに)などの投手陣に加え、
打撃ではトニーソレイタ 44本塁打でパ・リーグ本塁打王(通称:サモアの怪人)がいた。四番に打率310 本塁打22本を打った柏原純一がいた 。当時のパ・リーグでは前期・後期制を採用しており、前期優勝のロッテオリオンズと後期優勝の日本ハムファイターズが後期優勝した。プレーオフオフでは日本ハムファイターズが制しパ・リーグチャンピオンとなった。
ちなみに、このプレーオフ第二戦での試合時間5時間17分は9イニングの試合としてはプロ野球で公式に行われた試合の中で最長記録である。
一方、セ・リーグでは、長嶋茂雄(ながしま しげお)監督退任後の新監督の藤田元司(ふじたもとし)の下で巨人が二位の広島東洋カープに6ゲーム差をつけて優勝した。
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