付録

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1993年3月に覚せい剤所持の現行犯で江夏豊(えなつゆたか)が逮捕される。 1967年に阪神に入団していろいろなチームを渡り歩き、18年間で206勝193セーブポイントをあげた。南海フォークスを率いていた野村克也監督に口説かれて、リリーフ投手に変更、日本プロ野球のリリーフ投手の役割の重要さをしらしめた大投手である。奪三振数も凄く阪神に入団してから6年連続で最多奪三振王をとっている。 私が聞いたラジオ深夜便で聞いた彼の肉声によると、高校からドラフト一位で指名されて最初の7~8年は「面白いように三振をとれた」という。高校時代は甲子園出場をしていない彼は、現在も高校野球が始まるときは厳粛な雰囲気で正座をして試合をみるという。 また、入団初年度は村山実(むらやま みのる)に可愛がられスーツを買ってもらった秘話も話してくれた。しかし、江夏が活躍しはじめてから二年目以降は口もきいて貰えなかったことを述べている。 中国の最高指導者であったトウショウヘイがかつてアメリカと成長いちじるしい中国を指して、「一つの丘に2匹の虎は必要ない。彼らはいずれ戦う運命なのだ」とのべたようにエースの村山が江夏をライバルと認めたということであろう。 1971年のオールスターでは9連続奪三振をとった。9人目の打者の加藤秀司(当時阪急)がキャッチャー後方にファウルフライを打ち上げたとき、江夏が「ブチ、取るな!」と叫んだことで有名である。本人曰く、田淵幸一捕手は9連続奪三振を取ったボールを江夏に返さず、そのままスタンドに放り投げ、江夏豊投手は「いい加減な男だよ」とコメントしている。
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