ライバル 江川卓と西本聖

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西本聖は入団した1975年から翌年を二軍で過ごした。 1975年は、川上哲治(かわかみてつはる)に代わって長嶋茂雄が監督に就任した巨人軍は 球団創設以降初めて不名誉なセ・リーグ最下位となり歴史的な屈辱を受けた。 1976年は敗戦処理専門といわれながら、一軍で試合経験をする。この年はイースタン・リーグでは最多勝を獲得した。翌年3年目の1977年には8勝を挙げて一軍に定着するようになる。 1976年、張本勲、加藤初らをトレードで獲得するなど戦力補強を行った巨人は、2年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした。 1977年も巨人はセ・リーグを制覇しているが日本シリーズで阪急ブレーブスに敗れている。 1977年の西本聖投手の成績は8勝5敗であった。登板数も投球回数も規定投球回数にたりないものの増加している。 当時監督だった長嶋は西本のシュートを初めて見た時、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛した。西本のシュートは球速より、変化と切れ味を重視していた。 西本聖の好調時のシュートの変化は、尋常ではなかったようだ。 「打者がぶつかる」と思いのけぞった球が最後はアウトコースいっぱいに決まるほどのキレと変化量を誇った。 投げ方は沢村栄治(さわむらえいじ)氏を彷彿させるダイナミックに左足を高くあげて投球するため多くのファンを魅了した。 ちなみに沢村賞2017年度は巨人の菅野智之 (すがの ともゆき)が受賞している。 日本の野球選手で伝説と化した澤村(旧字体)栄治氏は戦前に大活躍した投手であり、当時のヤンキースのベーブ・ルースやルー.ゲーリックなど米国の選手をきりきり舞いさせた。残念ながら2度の徴兵により軍隊に入隊し、最後は東シナ海で米国の潜水艦に撃沈され27歳という短い生涯を終えた。 翌1978年の西本聖の記録をみると、前年の8勝から4勝3敗2セーブとなっているが、投球回数や登板数も増えていることから確実にチームに信頼されていることを示している。
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