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1978年11月21日オフシーズン球界に激震が走った。
いわゆる江川事件で巨人が江川卓を入団させたのだ。
野球協約の協定の虚をついた巨人の背広組の輩が前年度クラウンライターズ(のちの西武ライオンズ)の指名を無効にし、江川卓と入団契約した。
そのため、当時のマスコミや一般大衆の批判の的となっていた。
さらに、この事件に反発した球団が巨人を除外してドラフト会議をして行われ、阪神タイガースが指名権をもち、交渉権を得たなど、状況が混とんする中、
当時の日本野球機構コミッショナーの金子鋭は「ドラフト会議は有効」、「タイガースが江川に対する交渉権を有する」とする裁定を下した。
しかし、翌日には「江川には一度阪神と入団契約を交わし、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」という旨の「強い要望」を表明した。
これで巨人は当時のエースであった小林繁を放出している。
この事件は後まで波紋をよんでおり、多くの書籍やドラマにもなった。
西本はチームのローテションの一角を担うと考えていたので、巨人の先発の一角を江川に与えるとの判断を聞いて反発したという。
また、エースであった小林繁が阪神タイガースに本人の意にそぐわない形でいったことは巨人チームメンバーの中でも不評だったので、西本聖の胸中にも何かしらはあったのではないだろうか。
阪神タイガースに入団した小林繁投手は悲劇のヒーローとなった。
その年は巨人との戦いでは8連勝をあげ、シーズンを通しても22勝防御率2.89を挙げて2回目の沢村賞を獲得した。
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