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1981年度のプロ野球は冒頭で述べたとおりである。
1982年度、この年セ・リーグは読売ジャイアンツは1位の中日ドラゴンズに0.5ゲーム差で優勝を逃している。この年の江川卓は19勝12敗 防御率2.36 奪三振数は196で最多奪振王を獲得した。
西本聖は15勝10敗 防御率は2.58 登板回数は37回にもおよび31回の江川卓を凌駕している。この年のセ・リーグ最多勝利投手は広島東洋カープの北別府学で20勝をあげている。
中日ドラゴンズは近藤貞夫監督が着任して2年目だった。選手は田尾 安志(たお やすし)
平野 謙(ひらの けん)、谷沢 健一(やざわ けんいち)、大島 康徳(おおしま やすのり
珍プレーが多かった宇野 勝(うの まさる)、投手では速球投手である小松辰夫がいた。
この年の日本シリーズを制したのは監督になって初年度の広岡 達朗(ひろおか たつろう)監督であった。パ・リーグのプレーオフで日本ハムを下しパ・リーグの覇者となった。この年から1994年度までパ・リーグ優勝10回 日本シリーズ8回を獲得した。
広岡 達郎が1982年度から1985年度のリーグ戦途中に自身の健康問題を理由にシーズン途中で辞任、広岡 達郎のもとヘッドコーチをつとめ、巨人時代は日本一9連覇したときは不動の正捕手で「頭脳」と呼ばれた森 祇晶(もり まさあき)に管理野球が受け継がれた。この年は西武ライオンズは日本一となり。黄金期の到来を告げるものであった。
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