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彼に導かれるように、正門までの道のりを歩く。駅から正門までは、大通りを渡ればすぐだ。赤信号が青に変わる。皆一斉に動き出す。足を前に出さなきゃ。早く、一歩前に踏み出さなきゃ、そう思っているのに体が思うように動かない。大学の正門を目にした瞬間、忘れていた緊張が蘇ってきた。そのうちにまたガタガタと指先から震えがくる。持っているペットボトルを落としてしまいそうだ。
「どうした?」
動かない僕に気付いた彼が振り返る。
「まだ気分が優れない?」
「いや……、大丈夫だから……。先に行ってください……」
震えながらも、どうにか声が出た。信号はまた赤に変わる。バタバタと小走りに渡る人々が、僕達を邪魔そうに避けていった。彼の視線が、体に突き刺さるように鋭く感じた。僕は、情けなくて、悲しくて、悔しくて、項垂れた。そんな俯いた僕の手をとり、彼はポケットから何かを取り出して手のひらに乗せた。
「えっ?」
「これやるよ」
それは、白いオーガーンジーの小さな巾着だった。中に何か入っている。
「これは……?」
「リラックスできるお守り」
彼は、僕の背中をぽんと叩くと、「絶対に大丈夫」と耳元で囁いた。それからは一度も振り返ることなく、青信号に変わった歩道を颯爽と歩いて行ってしまった。
信号はまた赤に変わり、人の流れが止まる。手のひらにのせられた巾着の中には、何か石のような物が入っていた。そっと袋を手のひらで包み込むと、不思議と力が湧いてくる気がした。
『絶対に大丈夫』
そう囁いた彼の声が、再生される。
全身に広がる震えは消え、僕はお守りを握りしめると、今度は震えずに一歩を踏み出せた。動き出した足はだんだんと速くなり、駆け足になる。しかしもう、進んだ先で彼の姿を見つけることはできなかった。
こうして、僕は第一志望だった大学に合格した。僕はこの出来事を忘れた日はない。彼は、空から降ってきた隕石のように急に現れ、僕の心に落ちて大きなクレーターを作っていってしまったのだ。
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