第六章

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揺れ動く圭介の瞳から、視線を外す。震えそうになる手をぎゅっと握ると、俯きながら一息で言い放つ。 「圭介くんとは付き合えない」 大根役者が、台本に書かれたセリフを棒読みしたような、感情の籠らない言葉。 「もう、会うのもおしまいにしよう。私のことは……今日限りで忘れてほしい」 ずっと言わなければならなかったこと。ずっと頭の中の台本に書いてあったラストのセリフ。それを一気に吐き出した。 「えっ……」 「さようなら……」 最後に一瞬だけ、圭介の顔を見た。目尻にたまっていた涙が、堪え切れなくなって頬を伝っていく。祐一郎の表情に圭介が驚いた一瞬の隙に、少しだけ力を込めて胸を押すと、祐一郎はその場から逃げ出した。 走りにくい下駄を脱ぎ、河原を裸足で駆けていく。駅へと向かう大勢の人の波に入り込むと、人と人との隙間を縫うようにして駅へと進んだ。一度も後ろを振り返ることなく、祐一郎は電車に飛び乗った。 「……はあ、……はあ」 途中で下駄を履いたものの、足は薄汚れ、浴衣は着崩れている。亜美が可愛く結ってくれた髪の毛も、ぼさぼさになっていた。車窓に映る自分の姿に、祐一郎はまた涙が出てきた。見た目をどんなに着飾っても、体が女ではない祐子が、圭介と付き合うことなど不可能だ。 こんなにも別れが辛いのなら、何度も遊びに行かなければ良かった。連絡を取ることをやめれば良かった。今更過ぎる、後悔に似た複雑な感情がぐるぐると頭を回っている。止めどなく流れる涙は、持っていたハンカチで力任せに拭った。悲しくて、やり切れない気持ちでいっぱいだった。 自宅まで辿り着くと、浴衣のままバッグからスマホを取り出した。震える手で、スマホのデータを初期化し、電源を切ってSIMカードを抜く。机の奥底に入れていた、圭介の連絡先が書かれたナフキンも、ビリビリに破って捨てた。これで、圭介の連絡先は一切わからなくなった。これまでのやりとりも全て消えた。今後、圭介が連絡してきたとしても、祐一郎にはもうわらかない。祐子は消えたのだ。 「さようなら……」 と呟いた声が、誰もいない部屋に溶けて消える。それは、圭介に対して言ったのか、祐子に対して言ったのか、自分でもわからなかった。
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