第七章

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「何かあった?」 「ごめん。突然走らせて……。なんでもないんだ……」 他には何も言えず、それだけ答えると、祐一郎は無言のままカフェへ戻った。ビラ配りから戻ると、カフェは大盛況になっていた。祐一郎も接客に追われ、あっという間にE大祭の終了時刻になった。最後のお客様を見送ると、皆ほっとした雰囲気になる。 その後、圭介が追いかけてくるかと心配したが、来店することはなかった。本格的な後片付けは明日なので、今日やることはそう多くない。せっかくなのでそのまま片付けも手伝い、打ち上げに行くという同好会のメンバーに誘われて大学近くの居酒屋に行った。一人でいると色々と考えてしまいそうで、珍しく誰かと一緒にいたい気分だった。祐一郎は一時間ほど打ち上げに参加すると、先に帰ると言ってお店を出てきた。慣れないことをしたせいで疲労困憊だった。外は深々と冷え込み、吐いた息は白く空に消えた。一人になると、今日の光景が録画した動画のように鮮やかに蘇ってくる。 圭介は、どう思ったのだろう。なぜあそこに祐子がいたのか、なぜ日野と呼ばれていたのか。女装していたことがバレたのか、バレていないのかもわからない。どう感じて、どう推測しているのか、祐一郎には全く見当がつかなかった。圭介からの告白に、逃げるように走り去り、一切の連絡を絶って消えた祐子。その不可解な行動に、愛想を尽かしたと思っていた。しかし、今日見た圭介の視線には、まだ祐子への気持ちが残っているような気がした。祐一郎は、複雑な気持ちを抱えながら、とぼとぼと駅までの道を歩いた。 ――あれ……? ぼんやりと歩きながら、ふと、あることに気がつき、祐一郎は足を止めた。 ――ここに入れてたよな……。 寒さで悴んだ手を少しでも温めようと、無意識にダウンのポケットに手を入れたが、ここに入れていたはずの物がない。リュックに入れ替えたかと、そちらも探すが、入っていなかった。日中着ていたメイド服は、クリーニングに出すからと言われ、脱いだあと同好会メンバーに渡した。そこで、ポケットに何も入っていないことを確認した上で、畳んだので、メイド服のポケットに入っている可能性は低い。 ――まさか、どこかで落とした……? 日中、ダウンのポケットに入っていたのが最後の記憶だ。どこかで落としたとしたら、ダウンを羽織って、ビラ配りをしていた時か、カフェのバックヤードだろう。大学に向かう時はポケットに入っていたことを覚えているが、大学から居酒屋に向かう時には、何も入っていなかった。なぜその時に思い至らなかったのか。後悔ばかりが押し寄せる。途方に暮れた祐一郎は、手で目頭を押さえた。もしも、このまま見つからなかったら、という考えが過ぎり、押さえていた目頭が熱くなる。 「………………っ」 泣いていても仕方がない。今すぐ大学に戻りたいが、この時間では閉まっていて入れないだろう。明日、大学に行って探してみようと決意し、暗い気持ちで家路についた。ずっと、肌身離さず大事にしてきた、大切なお守り。コンドライトを入れた星座図の缶を、祐一郎は失くしてしまった。翌日、居ても立ってもいられず、朝から大学に向かった祐一郎は、片付けに勤しむ学生たちを横目に、学内を歩き回った。 途中、学生課に寄り、拾得物として届いていないかを聞きに行く。土日がE大祭だったこともあり、通常よりも落し物・忘れ物が多いらしい。昨日分の拾得物はまだ各学部の学生課に保管されていて、午後にならないと総合保管場所である事務局に集まってこない、明日以降来るように言われ、祐一郎はがっくりと肩を落とした。もう一度、学内を歩き回ったが見つけることはできなかった。
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