第八章

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「……あ、あの」 祐一郎が小さく声を出すと、圭介は少し慌てたように両肩に乗せた手を離した。 「あ……、ごめん……。なんか、倒れそうに見えたから」 気まずそうにする圭介に、祐一郎ももじもじと俯く。大学の事務局前には綺麗に整備されたプロムナードがあり、等間隔にベンチが設置されている。とりあえず座って、と圭介に誘導され、二人並んで腰掛けた。 「もう、大丈夫……?」 「う、うん。あの……、ちょっと、目にゴミが入っただけで……」 咄嗟に口からでた言葉に、圭介は訝しげな顔を向けてきた。明らかに、目にゴミが入ったレベルではない涙の量だったが、圭介から追求されることはなかった。 ――なんで、声をかけてくれたんだろう……。 E大祭でぶつかってきたのは、祐一郎で、なおかつ祐子だったと、わかっていないのだろうか。そうなると、いつも授業で隣に座ってくる理由がわからない。 ――優しいから……か。 祐子として一緒にいた時、大らかで優しくて包容力のある圭介に惹かれた。もしかすると圭介は全てをわかった上で、ありえない裏切りをした祐一郎のことも許し、友人として接してくれようとしているのだろうか。 ――でも、僕は……。圭介のことを、友人とて見ることができない。 恋愛感情を伴って、同性である圭介に惹かれている。初めて自覚した恋。祐子でいた時から、ずっと圭介のことが好きなのだ。変わらない気持ちは、ずっと祐一郎を苦しめ続ける。 ――これは、罰なのかもしれない……。 圭介が告白した相手は祐子で、祐一郎ではない。祐子でいれば、圭介と想いを通わせられたのかもしれない。しかし、圭介が告白したのは、女性である祐子なのだ。祐子に見せた、優しそうな微笑み、少し照れくさそうに、差し出された手。鮮明に思い出せるのに、それは祐一郎のものではない。好きだと言ってくれた圭介の好意を、祐一郎に対しては感じない。そんな当たり前の事実に、打ちのめされる。今となれば祐一郎の片思いなのだ。祐一郎だけが、まだ圭介を好きでいる。塞いだ気持ちで考えていると、すっかり涙も乾いてきた。何も言わず、静かに座っていた圭介から「落ち着いた?」と尋ねられた。 「う……うん」 「それなら良かった。じゃあな」 そう言って、圭介は立ち上がると、図書館の方へと歩いて行ってしまった。祐子として一緒にいた時、別れる時はいつも頭を撫でてくれた。そんなことを不意に思い出して悲しくなる。圭介は、一体何を考えているのだろう。追及され、罵倒され、謝罪を、求められた方が、わかりやすい。しかし、何も求めてこない圭介に、祐一郎の心は不安と淡い期待に揺れる。祐一郎は、圭介が去って行った方向をぼんやりと眺めながら、しばらく動けずに座っていた。
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