第九章

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予想外の質問を返され、祐一郎は動揺する。しかし、ここでまた嘘をついたり、隠したりすることはもうしたくなかった。 「僕は……、僕は、圭介くんが好きです」 膝の上に乗せた手で、馴染んだコンドライトの缶をぎゅっとにぎる。 「祐子として圭介くんに接していたのに、僕は……、僕として圭介くんのことが好きになってしまって……。で、でも、この気持ちは今日限りで封印するので……」 「なんで?」 「え? だ、だって……迷惑じゃ……、わっ!」 祐一郎の言葉は、突然抱き締めてきた圭介の胸元に当たって消えた。 「迷惑じゃない」圭介に抱き締められている。それだけで、百メートルを全力疾走した後のように心臓が大きく鼓動してしまう。 「あ……あの、圭介くん……っ」 「ずっと、考えてた……。E大祭で日野にぶつかった時から、俺が好きなのは誰なんだろうって」 「え……、だって、僕は……」 抱き締められていた手が緩み、両肩に手を添えられると、お互いに向き合った。 「誰がとかじゃない。俺は、祐子ちゃんだった部分も含めて、日野が好きなんだ」 「え……」 「最初は、いくら見た目が好みでも、同性を好きになるなんてありえないって思ってた。でも、寝ても覚めても日野のことが気になるんだ。気の合う男友達なら何人もいる。でも触れたいって思うのは日野だけだ……」 祐一郎を見つめる圭介の真剣な眼差し。その真っ直ぐな視線から目を離すことができない。 「日野が好きだ……」 祐子ではなく、祐一郎としての自分に。圭介の言葉に、祐一郎も自然と口を開いていた。 「僕も……、ずっとずっと、圭介くんのことが好きでした」 それを聞いた圭介が、ふっと笑う。 「過去形?」 いじわるな表情で、にやりとした視線を向けられ、祐一郎は動揺する。 「あっあの……ええと……、好きです。圭介くんが、好きです」 「うん……、よかった」 圭介の、いつもの爽やかな笑顔。コンドライトが入った缶を握る祐一郎の手に、そっと圭介の手が重ねられた。しばらく至近距離で見つめられると、優しく啄むようなキスを落とされる。途端に脈が速くなり、頬が熱くなった。お互いの息が掛かるほど近くで見つめ合う。少しだけ離れては、角度を変えて落とされるキスに、祐一郎は呼吸のタイミングがわからなくなり苦しげに喘いだ。 「……っは」 「ごめん……、苦しかった?」 「だ……いじょうぶ……」 初めてのキスに、頭がくらくらする。ぼんやりする祐一郎を、圭介は優しく抱きしめた。小柄な祐一郎をすっぽりと包んでくれる。頬を寄せた圭介の心臓から聞こえてくる早めの拍動。 ――僕と同じように、圭介くんも緊張してる……? 祐一郎よりも格段に経験豊富そうな圭介も、祐一郎相手に緊張してくれるのだろうか。 「あの……、圭介くんは……大丈夫?」 「なにが?」 「やっぱり、男は無理だって思ったら、早めに言って欲しいな……って」 「っははは。今のところ大丈夫だから安心して」 祐一郎の言葉に、圭介が笑う。 「い……今のところ……」 ぼそりと、思わず気になった部分を反芻してしまう。そんな祐一郎の頭を優しく撫でると、労わるように、こめかみにキスをされた。 「不安なら、もうちょっと先まで行って確かめてみる……?」 「え? え? 確かめる? もうちょっと先って……」 ――あ……。 意味がわかった途端、顔から火が出そうなほど熱くなった。傍目にもわかるほど、顔も赤くなっているはずだ。そんな祐一郎を、至近距離で見つめる圭介はいたずらな顔で笑う。 「それはまあ……おいおいな」 「っ…………」 これ以上は、恥ずかしくて圭介の顔を見ていられなくなり、祐一郎はその広くて硬い胸板に顔を沈めた。どのくらいそうしていただろうか。互いの体温を感じながら、静かに流れる時間。互いの息遣いだけが微かに聞こえる。そんな空間で、ぐううと大きなお腹の音が鳴ってしまった。
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