耳朶

2/2
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 耳なし芳一だって?ああ、もちろん知っているさ。忘れるもんかね。    引きちぎられる痛みに耐え、叫びたい気持ちを抑え芳一は、亡霊たちが目の前から去ることだけを、必死に願っていたんだろう。    血汐でぬめる首筋は、さぞかし気持ち悪かったに違いない。    ところであんた、知りたくないかい?    亡霊たちが持っていった、耳の行方をさ。    長いこと、こんな商売していると、客の顔やしぐさをちょっと見るだけで、胸に抱えていることが、手に取るようにわかるんだ。    あんたも、あたしの店にやってきたのは偶然なんかじゃないんだろう。ようやく探し当てた、とも言いたげな目をしていたよ。    教えてやってもいいけれど、その代わり、もう一杯追加しておくれ。    おっと、ツケはご免だよ。こっちは毎晩毎晩、店を開けて、ようやく質素な飯が食える身の上なんだからさ。落ちぶれちまったもんだねえ。    水割りかい、お安いご用だ。同じ酒でかまわないかい?安い酒でも酔えればいい、あんた、そんな感じみたいだね。    さあて、続きを話そうか。    芳一から奪いとった耳は、残念ながら、あたしのとこには、もうないよ。    店を出す時、悪いところから金を借りてしまってね。値打ちがあると話をつけて、取り立て屋にあげちまったのさ。    当時で……そうだねえ、古物屋さんに見てもらって、片手にはなったかねえ。取り立て屋は驚いて、いそいそ持って帰ったよ。    だから、ここにはもう、芳一の耳はないんだよ。  どこへ行ったかも、わからないのさ。申し訳ないけど。    ところであんた、こんな蒸し暑い晩にどうして、髪をおろしているんだい?  結った方が、いくぶん涼しいじゃないか。耳がまるで見えやしないよ。    それに、さっきから怒ったような、悲しいような顔で飲んでいるじゃないか。  さかのぼって、何代目になる?  あの、お人好しな、耳をなくした琵琶法師から。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!