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名も知らない初対面の人に話してしまったけれど、どうにも絡まった糸が解けたようなスッキリした気分。手元のコーヒーもすっかり無くなりそろそろと腰をあげると、遅くまで引き止めたねと申し訳なさそうにした彼に、今度はしっかりと目を見てありがとうございましたと伝えた。
彼は店先まで見送りに出てくれて、赤と青のサインポールに手をかけながら僕の頭を見て、我ながらいい出来だと自画自賛している。
「僕は松田旭。カット、気に入ったならまたおいで。今度はカットモデルになってよ」
「七海波留です」
どんな字だと聞くので波を留めると書くと教えると、彼は成る程ねと意味深に笑った。
振り返ると未だ道向こうで手を振る彼に頭を小さく下げる、その日の帰り道 僕はちゃんと前を向いて歩るけた。
「お帰り波留ちゃん…?」
「ただいま、渚さん」
19時を回ったころの帰宅、今日は渚さんが出迎えてくれた。靴を揃えて振り返ると、廊下の壁にもたれてこちらを見る渚さんが首を傾げている。ふと伸ばされた手が僕の後ろ髪の襟足をくすぐった。
「波留ちゃん、髪切った?いつもと違うコーヒーの匂いがするね」
「毛先だけ揃えてもらったんだけど」
「そっか、前髪もだいぶ伸びてたもんね」
「うん」
「言ってくれたら切ってあげるのに」
「え、髪まで切れるの?」
「実力の程はご想像にお任せします」
「えー」
可愛いじゃんと僕の軽くなった前髪を攫ってふはっと笑った渚さんはリビングへと足を向ける、僕もその背中を追うのだけど…なんとなく、今日知り合った美容師にコーヒーまでご馳走になった事は伏せてしまった。
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