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5歳の頃に母が死んだ、それからずっと父と二人で生きてきた。 17歳の春、こんどは父が死んだ。 僕は、一人になった。 死因は交通事故という呆気ないものだった。 運ばれた病院の死体安置室、白い布に包まれて眠る父を見ても現実味が伴わなかったのは、その顔に傷一つ無かったせいだと思う。 担当の人に間違いないかと聞かれ、はいと頷いた。 安置室の側の長椅子に座って考えるのは、この先の事。 父が僕に遺したものは、学費や進学にと溜めていた僅かな貯金、生命保険、あとは…僕が生まれた時に母と購入したという、小さくて可愛い赤い屋根の、思い出が沢山つまった家。 父が僕に遺したものは…。 「君が七海波留君か?」 煌々と灯りに照らされているのに、どうしてだか寂しい廊下。 遠くで聞こえていた静かな足音がすぐ側で止まって、僕の爪先を覆った人影が名前を呼ぶ。 低くて心地いい声に労りを感じ釣られて顔をあげたけど、灯りが邪魔をしてその人の顔はよく見えなかった。 するとその人は僕の前で膝をつき下から覗き込んできて、そうして初めて目が合った。 後ろに撫で付けた髪、切れ長の瞳とシルバーフレームの眼鏡、大人の男の人。 一見冷たそうに見えるその人が優しく、でも悲しそうに笑う。 膝に乗せていた僕の手に自分の手を重ね、波留君だね?と再度確認する。 悲しみのどん底で、降って湧いたように現れた、温かくて大きな手。 そんなものに感動なんてしなかったし、誰かの優しさに触れたところで涙も出なくて、貴方のご親族で間違いないですかと聞かれた時みたいに、ただ言葉無く一つ頷いた。 それが脱け殻みたいに見えたのか、その人のは一層悲しみに暮れた表情で、僕の膝の上の手をきゅっと握るものだから、なんだか困ってしまって見ていられない。
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