門出の時に

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アンタの事は忘れないです。そう死ぬまで、いや、死んでも。 「僕が持ってるモノの中でと思った時、ネクタイは結ぶものだし、それを渡したら、もしかしたら記憶の中に僕のことを結んでくれるんじゃないかって思った。」 なぜそんなに焦っているんだ?この人は。 目の前に俺がいるのに、その俺を見ていないような。 「葵の世界は広い。僕はその広い世界に葵は行って欲しい。だけど忘れないで欲しい。」 「そう言ってる京弥さんこそ、俺のこと綺麗さっぱり忘れるかもしれないですよ?」 「そんなことない…そんなことは、ない。」 アンタは俺の手を握る力を強める。俺に縋っているのでは?と錯覚を起こす。その手は相変わらずカサついているけれど、俺にとっては愛しくてたまらない手だ。 「京弥さん、俺は目の前にいます。」 「うん。」 「俺はアンタのこと忘れられないですよ。日本に来て、はじめて俺に感動を与えてくれたのは紛れもない、早水京弥のアルトサックスの音なんですから。」 アンタの目が見開かれる。信じられない、という顔をしている。 「俺は2年前日本に来たけど、イギリスに帰りたくて…嫌で嫌で周りは真っ黒にしか見えなくて。だけど入学式の時に京弥さんの音を聴いて景色に色が付いたんです。アンタの音を聴いて、日本でも頑張ろうって思えたんです。」 「ほんと…?」 「本当です。京弥さんがいたから、俺の今があるんです。」 本当はこんな布団の中じゃなくて、もっとカッコつけて言いたかった。そうだな、例えばライトアップされた港とか… だけど、俺は今こそずっと伝えたい事を言うべきだと思ってしまった。この言葉をアンタが待ち望んでいるような気がしたから。 するとアンタは握っていた俺の手から自分の手を離す。俺も釣られて掴んでいたアンタの手首から自分の手を離す。 「また、僕のサックス聴かせてあげる。葵が飽きるくらい…」 「京弥さんのサックスの音はいつまでも聴いていたいっていう魔法がかかっているから飽きません。」 お互い顔を合わせてクスクスと笑う。 幸せだ、と俺は思う。だって大好きなアンタが目の前で笑ってくれている。 「もう、僕達も寝よっか。」 「そうですね。」 「葵…」 「ん?」 「おやすみなさい。また、明日…」 おやすみなさい、京弥さん。よい夢を。 アンタの方を向いて眠る勇気はなく、背を向ける。 だけど俺は眠れなくてスマホをいじる。 すると隣からは規則正しい寝息がしてきた。
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