0人が本棚に入れています
本棚に追加
数年前のことだ。
事故で足を骨折して病院に入院していた僕は、散歩がてら、病院内にある桜の下を訪れていた。車椅子の使い方に慣れるため、と言えば、看護師は簡単に僕を外に出してくれた。
僕はサッカー部だった。足はもう、前の様には動かせないと医者から言われていた。大のサッカー小僧だった僕にとって、何よりも重い宣告だった。
(サッカー、辞めようかな…)
病院に来てから既にかなりの時が流れているが、さほど回復している様には思えなかった。治らないままサッカーにしがみつくのか、もうプレー出来ないのに。
悪い思考は更に悪くなって僕を苛んだ。ぼんやりと桜の花を見上げる目から涙が溢れそうになって、僕は慌てて目を擦った。
その時、音が聞こえた。
音楽に疎い僕でも、それが弦楽器だということは分かった。
その子は、桜のすぐ後ろにいた。小さな体で一生懸命に弾いていたのはーー
「バイオリン…?」
僕の呟きを無視して、その子は弾き続けた。高い音低い音、大きく力強い音も、簡単に折れてしまう様な細腕で、その女の子は美しく引き上げた。
最後に透き通るレの音を出して、曲が終わる。
思わず手を叩くと照れた様に女の子は微笑んで、僕の方に近づいて来た。
「すごいな、君は。…この曲、なんて言うんだい?」
「タイスの瞑想曲、って言うのよ。私の大好きな曲なの。」
ふふ、と女の子は笑みをこぼして、僕の膝の上に楽器を乗せた。
「あなたも、弾いてみる?」
「え、僕がかい?」
恐る恐る、バイオリンを持ち上げる。思ったより軽くて、少し拍子抜けした。
「えっと、こう、かな。」
「違うよ!ここはね、こうして…」
僕はそうして2時間ほど女の子と一緒に過ごし、その小さな講師のおかげで、僕はなんとか「きらきら星」を弾けるようまでになった。
「あ、時間だ。」
沈む夕焼けを見て、女の子は寂しそうに呟いた。
女の子に楽器を渡し、ポンポンと頭を二度撫でる。
「また会えるよ。」
「そうね!またね、お兄ちゃん!」
慎重にバイオリンをケースにしまい、女の子は駆けていった。
「あ、名前…」
聞きそびれてしまったな、と思ったが、またこの桜の木のしたで会えるだろうと、あまり深くは考えなかったし、実際、その子の名前はすぐに分かった。
桜の木の下ではなく、薄暗い、地下の霊安室でだった。
最初のコメントを投稿しよう!