芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

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 一国一城令で上野城は伊賀の城として存続が認められると、高虎は弟の藤堂高清を城代とし、高清の死後は藤堂元則が城代となり、文政8年(1825)に藤堂高猷が最後の城主となるまで藤堂氏の世襲とした。 ※津藩は伊勢安濃郡安濃津(現在の三重県津市)に置かれた藩。安濃津藩と呼ばれることもある。藩庁は安濃津城(津城)。石高は伊勢・伊賀2国を合わせた22万石(大坂の陣後、32万3000石に加増で大和国などにも飛び地領が存在)。 藩史  伊予今治藩10万石から藤堂高虎が22万石に加増された上で入った。内訳は伊予越智郡今治2万石、伊賀国内10万石、伊勢安濃郡、一志郡内10万石で計22万石である。
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