芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

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 高虎は江戸城の普請などにも功を挙げて家康から絶大な信任を受け、外様でありながら早くから別格譜代の厚遇を受けることとなる。慶長19年(1614)からの大坂の陣でも家康側に与して戦功を挙げた。  伊賀上野藩主・筒井定次の改易もあって伊勢津藩は伊賀国内と伊勢鈴鹿郡・安芸郡・三重郡・一志郡内で5万石を加増され計27万石となり、更に元和3年(1617)新たに伊勢度会郡田丸城5万石が加増され、高虎の弟藤堂正高の下総国の所領3千石も津藩領に編入し、最終的に32万3000石を領する大大名となった。  なお、田丸5万石は元和5年(1619)に和歌山城に徳川頼宣が移封されてくると紀州藩領となり、藤堂家には替地として大和国と山城国に5万石が与えられた。  藩政は初代藩主・高虎の時代に行なわれた城郭普請や家臣団編成、農業制度改革、城下町建設などで確立する。 第2代藩主・藤堂高次は寛文9年(1669)9月29日に隠居する際、子の第3代藩主・藤堂高久に命じて次男藤堂高通に5万石を分与して、支藩である久居藩を立藩させた。
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