芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

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 このため、津藩は27万3950石となった。高久も元禄10年(1697)10月5日に藤堂高堅に3000石を分与して、27万950石となった。高久は藩財政再建のため、地方知行制の廃止と蔵納制の移行、田畑永代売買の禁止、新田開発、商業統制などを行なったが効果はなかった。  第4代藩主・藤堂高睦の在職期には3度にわたる地震などの天災に見舞われた上、藤堂家の嫡流も彼をもって早くも終焉し、以後は支藩・久居藩から招かれて藩主となった者が多い。  第5代藩主・藤堂高敏、第6代藩主・藤堂高治、第7代藩主・藤堂高朗(藤堂高豊)らはいずれも久居藩主を経て、津藩主になった面々である。 なお、これら養子藩主時代は幕命による手伝い普請などによる出費や天災・凶作が相次いで藩財政は悪化した。  第9代藩主・藤堂高嶷も久居藩から津藩主となった養子藩主で、藩財政の再建を中心とした藩政改革を行なったが、あまりに急性すぎる改革は周囲の反発を受け、寛政年間に津藩最大の百姓一揆が発生して改革は挫折した。
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