芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

11/234
前へ
/236ページ
次へ
特筆すべき藩主が、第10代藩主・藤堂高兌である。彼も久居藩から転任した藩主で高嶷の実子だが、すでに久居藩主時代からその敏腕を持って藩政の再建に成功していた。  このため、津藩の藩政でも綱紀粛正・倹約・植林や養蚕の奨励、福祉政策、文武の奨励などを実行して藩政改革を成功させ、藤堂家中興の英主と讃えられた。  高兌の後を継いだ第11代藩主・藤堂高猷の時代には、凶作や地震などの天災が相次ぎ、藩の借金は明治に至るまでに212万両にまで達したといわれる。  1868年(慶応4年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは当初は幕府側であったが、山崎高浜砲台の津藩守備隊の機転で官軍側を支援し、対岸の幕軍砲台を砲撃するなど官軍の勝利に大きく貢献することになった。  しかし、幕府側の将兵からは突然の裏切り行為であり「その行い、藩祖(高虎)に似たり」とそしられた。その後、藤堂軍は戊辰戦争で東海道の先鋒となって、各地で旧幕府軍と戦った。
/236ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加