芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

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地名の歌枕  しかし歌枕は時代が経つにつれて、次第に和歌で詠まれる諸国の名所旧跡のみについて言われるようになった。平安時代後期の歌人源俊頼の著書『俊頼髄脳』には、「世に歌枕といひて所の名かきたるものあり」とあって、すでにこの頃には歌枕について、名所や由緒ある場所に限ることがあったと見られる。  『能因歌枕』によればその地名には、都が平城京に置かれていた頃から親しまれてきた大和国の地名をはじめ、東は陸奥国から西は対馬まで六十一ヶ国に及び、それらは山や川、浦といった自然の景物、また橋や関、里(さと)などの場所が取り上げられている。  もともと地名の歌枕は実際の風景をもとに親しまれてきたというよりは、その言葉の持つイメージが利用されて和歌に詠まれていた面がある。例えば上で触れた「あふさかやま」は古くより逢坂の関と呼ばれる関所でもあったが、この地名はたいていが男女が逢えぬ嘆きをあらわす恋の歌に詠まれた。
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