芭蕉紀行漂泊の憧憬  2

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2、芭蕉の出自 寛永二十一年・正保元年(1644年)伊賀上野生まれ、松尾家に二男として生まれ、金作と名付けられた。  金作は山国の小さな城下町で育ち、伊賀と伊勢の一部が津藩の支配下にあって石高は三十二万石、藩主は代々藤堂藩が明治の廃藩(はいはん)置県(ちけん)まで続き、伊賀上野には支城白鳳城が置かれた。 松尾家は苗字を許された無足人と呼ばれる準武士に相当する身分であった。土地柄農民が大部分占め松尾家は名家で通っていた。 父の松尾与左衛門は中世来の土豪、拓植七党の戦流れを汲む旧家の出身で、金作自身は父与左衛門から聞かされた地域の歴史は、戦国時代には織田信長に蹂躙された苦い影があることを教えられ戦乱の悲劇に生きた祖先は、武士への憧れより文芸に身を投じる要因にもなったかもしれない。 母は伊予宇和島の産で、桃地氏の女と伝えられ、家族は兄半左エ門命清、または『蕉翁略伝』には義左衛門の嫡子半左衛門の代に千五百石藤堂藩修理長基に出仕した。
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