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わたくし、墓尾つばめと申します。
「ブィックショーン!」
あらイヤだ、風邪かしら?
わたくしってご存知のように、とてもデリケートなんですの。
この時期は特に注意が必要ね。
寝冷えは禁物よ。
「ふあーっあっ、と」
ベッドの上で小さくかわいい欠伸をひとつ。
さてっと、そろそろお目覚めしなきゃ。
窓からは初夏の木漏れ日が、カーテン越しに差し込むわたくしのお部屋。
お部屋と申しましても、わたくしの生家の自室ではございません。
実家はご近所さまからは「墓尾さまの蟹御殿」などと呼ばれております、それはたいそう素敵なお屋敷でございます。
わたくし、墓尾つばめは正真正銘のセレブ令嬢。
なぁんて自分で言っちゃう、お茶目サンなのです。
ここ愛知県ナゴヤ市の中京都大学へ入学いたしまして、早くも二年目の夏を迎えております。
わたくしは高校まで実家のございます北海道で、のびのびと育まれておりました。
パパとママは一人っ子のわたくしを、それこそ目に入れても痛くないほど愛してくれておりますのよ。
パパは地元では有名な、網元でございます。
毛蟹漁船を、十数隻保有しておりますの。
毛蟹漁は期間と地域によって定められております。
少し博識を披露いたしますと、3~5月(流氷明け)は オホーツク産(沙留、枝幸、雄武など)、6~8月は胆振産(噴火湾など)、9~11月は 道東産(広尾・釧路など)、そして12~2月 は日高・道東産(襟裳、白糠、広尾、釧路など)となっております。
ただパパは、さすがパパですの。
この決められた期間外に保有しております高速漁船で、闇にまぎれる忍者のように毛蟹をかっさらってしまいます。
期間外ですので、パパの指揮する漁船しか海原にはないのです。
それは見事な作戦でございます。
一網打尽ですわね。
たまに海上保安庁の巡視船と追いかけっこするそうですが、なんと申しましてもターボエンジン搭載の高速漁船です。
あっという間に引き離して、パパの勝ちーっ! だそうなのです。
墓尾家の家訓、「勝てば官軍」を確実に実行しているパパなのです。
たまに「密漁一家」などと不届き千万な陰口も聞いたりいたしますが、失礼極まりないですわ。
経営戦略の一環ですのに。
大学から地下鉄で三つ目の「植田駅」にほど近いマンションに、現在はわたくし一人で暮らしております。
マンション。
確かに入学前に不動産屋さんから紹介を受けましたとき、「ゴールドクレストマンション・UEDA」とゴージャスなネーミングに魅かれ、しかもお家賃が破格値でございましたので即決いたしました。
パパは「お金など気にしないで、学問に集中できる環境に住みなさい」、と言ってくれました。
わたくしは締めるべきは締める、と常日頃からセレブ令嬢でありながら節約家でございますので、このマンションに住まっております。
1LDKとやや狭さを感じますが、学生の身でありますゆえこれも修業と、我が身を諌めておりますの。
ただこのマンション、木造二階建てでエレベーターなぞございません。
わたくしの住まう二階は、表通りにさらされた階段を上って周囲が見渡せる廊下を通って一番端なんですの。
各お部屋の玄関横に、住人の方々は洗濯機を置かれております。
マンションではなく、コーポ?
世間知らずのわたくしは同じクラブの同級生に、そう訊かれましたけど。
わたくし、実は恥ずかしながら大学の漫画研究会に属しております。
もちろん、わたくしも漫画を描くのでございます。
ベッドの上に身を起こしますと、まずルーティンワークであります、土壁に飾っております江戸川乱歩先生のお写真にご挨拶いたします。
はい、わたくしは中京都大学文学部国文学科に籍を置く、文学少女でもあるわけです。
そして反対側の壁に目を向けます。
そこにはB紙大の大きな額縁に、日本が世界に誇る漫画家、日野日出志先生の描かれた「蔵六の奇病」の表紙絵を拡大したものを飾っております。
大胆にデフォルメされた人物、独特のライン、感動的なカラーリング、どれをとりましても、日野先生の生み出される世界はわたくしを魅了いたします。
わたくしが物心のつくころから、ママが毎晩ベッドの横で、わたくしに日野先生の漫画を読み聴かせてくれましたわ。
シンデレラやプーさんにはまったく興味をいだかなかった幼少のわたくしは、寝物語でママが読んでくれる「地獄の子守唄」や「腐乱少女」のお話に小さな胸をときめかせておりました。
夢の中で毎晩主人公たちが、わたくしと遊んでくれましたのよ。
わたくしは覚えておりませんのですが、「つばめが夜中に楽しそうに叫んで、汗をびっしょりかく姿がとても微笑ましかったのよ」と、ママが言ってくれます。
江戸川乱歩先生の物語も、夢中になって読みましたわ。「陰獣」、「悪魔の紋章」、「一寸法師」などは小学一年生の頃に、中学に入るまでには全集を読破いたしておりました。
ポプラ社から「少年探偵団シリーズ」が出版されておりますのを知ったのは、高校生になってからですの。
奥手ちゃんですわね。
怪人二十面相さま、ステキなナイスガイですわあ!
壁際に置いた机の上の目覚まし時計に目をやりますと、まもなく午前七時です。
今日は午前中から大切な講義がございます。
ベッドから起き上がり、わたくしは大きくのびをいたします。
ママ譲りの天然ウエーブヘアをセミロングにしておりますが、寝起きは時々絡まっております。
Tシャツにショートパンツという部屋着のまま、キッチン横に設置してあります洗面台に向かいます。
なぜだかこの洗面台の鏡に、深夜になると髪の長い女性が寂しそうに立っている姿が映るのです。
わたくしは愛想よく鏡越しに微笑み、「こんばんは! 今夜はお月さまがとっても綺麗ですわね」、と話しかけるのですが、そうするとその女性は白い顔をさらに白くして驚愕した表情のままフッと煙のごとく消えてしまします。
せっかくご挨拶申し上げておりますのにと、温厚なわたくしは「お里が知れますわよ!」と怒りを鎮めるために、洗面用のコップや歯ブラシ、ドライヤーにお化粧水の瓶をを振り向きざまに投げてしまいますの。
いけない子です、しょぼん。
そういたしますと、「コワイ、コワイよぅ、この住居人がコワイよぅ、誰かここの地縛から私を解放してよぅ、成仏させてよぅ」、などと悲しげな声が聴こえちゃったりしますの、うふふっ。
空耳?
このお部屋のお家賃が相場の半額である理由は、世話好きなクラブの同級生が調べて教えてく入れました。
なんでも数年前に失恋した女性がこのキッチンで、包丁で何度もご自分の首を切り刻み亡くなったそうなんです。
しかもそのことをお知らせせずに、次の方に貸してしまったそうなんです。
次の方も、お若い女性だったそうなんですの。
入居されて三か月後に気がふれたように室内で暴れまわり、「近寄らないで! 誰か助けてっ」、なんて叫ばれたとか。
結局その女性は病院へお入りになり、まだご入院中とかですって。
病室には鉄格子がはまっているそうなんです。
その女性は「髪の長い女の怨霊が、毎晩毎晩恨み事をつぶやき、私を地獄へ道連れにしようとしている」、などとおっしゃっているそうです。
そんなオカルト話、わたくしは屁とも思いませんわ。
だってこれだけ科学が発展しております時代に、おほほほっ。
事故物件、ドンとこい!
鏡に映るわたくしの顏。
率直に申し上げますと、かなり、いえすこぶるチャーミングなんですの。
あらっ、自画自賛なんてわたくしらしくもないわ。
パパとママの良いとこどり、とでも言いますかしら。
二重の大きな目元、すうっと通った鼻梁、やや厚めで小さな口元。
いわゆる黄金比、で形成された顏なのです。
決して自慢ではございません。
事実でございます。
スタイルも自分では気づきませんが、よく「脚が長すぎる!」、「絵に描いたような、ボン、キュッ、ボン!」などと言われますの。
街へ出ると必ずと言って差し支えないほど、殿方からお声を掛けられます。
でもわたくしには素敵な彼がおりますゆえ、丁重にお断り申し上げます。
その際、みなさま一様にわたくしが口を開いた瞬間、顔をそむけられて去って行かれますの。
それはわたくしから、お断りのお返事を聞かれたくないからなのでしょう。
洗顔いたしました次は、朝食です。
同級生の女子で、ダイエットのためにご飯を食べない子もおります。
でもわたくしは、賛成いたしかねますわ。
三度のお食事がどれほど大切か。
そうは申しましても、わたくしも花も恥じらう乙女。
朝食は必ずお野菜でスムージーを作って、それだけをいただきます。
キッチンには小さなテーブルと、イスが二脚。
テーブルの上には、スムージーミキサーとコップ。
わたくしは冷蔵庫と小さな棚から、お野菜を取り出します。
この朝いただくお野菜は、高校生の時から変わっておりません。
生ニンニクと生ニラ、ですの。
あとはもちろん納豆と、ラッキョウでございます。
それだけですとチョッピリ物足りませんので、ママお手製の魚醤を数滴加えちゃいます。
ママから「この液体はあまり摂取しすぎると、アッチの世界へ跳んで帰って来られなくなるから、ほどほどにね。つばめちゃん」、と申し渡されておりますので、容量は守りませんと。
アッチの世界って、どんなところかしら?
ミキサーの中で、砕かれた氷と混じりあい、とても風味豊かな一杯が仕上がりますわ。
あまり胃に収めると講義中にお眠りしてしまいますから、分量はちょうど一リットル。
適量でございますわね。
腰に手を当て、一気に飲み干します。
「ゲフーッ!」
あらまあ、大きなため息が出てしまいました。
鼻を抜けるニンニクの香り。
たまりませんわあ。
次は外出の準備です。
お部屋にもどると通学用のバッグを机に乗せ、本日の教科用の資料を入れます。
ちなみにこのショルダーバッグは有名ブランド、ルイヴィトン。
セレブのご令嬢なら当たり前のブランドですわね。
あともう一つあるショルダーバッグはプラダ。
でもどちらも、お安いのです。
もちろん中古品ではございません。
パパが入学時にプレゼントしてくれたんですが、購入したわけではありません。
なぜなら、パパが経営している工場で作っておりますゆえ。
蟹漁がお休みの時には、パパは屋敷裏の工場で、バッグや時計を職人さんたちと生産しております。
ルイヴィトン、プラダ、シャネルはもちろん、時計はロレックス、ブルガリ、フランク・ミュラーなどもございます。
すべて手作りですが、パパは「有名ブランドを格安に入手したい、一般庶民のために」、と赤字すれすれで販売しております。
経営者として超がつく一流のパパですけど、そういった人情と申しますか、人の心がわかるカッコいい漢なのです。
わたくしの自慢です。
今日はピンクの花柄ブラウスに、デニム生地のマイクロミニスカート。
玄関でパンプスを履きかけて、気づきました。
「いっけなーい!
ランチと彼へのプレゼントを忘れてたわ」
わたくしは小さくコツンと頭を叩くと、急いで冷蔵庫を開けます。
ランチも、もちろんお野菜充分です。
冷蔵庫にはタッパーに小分けした、ママ特製の白菜キムチが入っております。
ひとつは、わたくしのランチ用。
もうひとつは彼への、プレゼント。
それと棚から昨夜田畑さまからいただいた新鮮な長ネギを、「うーん」と思案しながら二本取り出し、バッグに差し込みます。
まるで映画に出てくる可愛い女優さんが、フランスパンを紙袋からのぞかせているみたい。
こげ茶色のバッグに、緑色と白色のコントラストが鮮やかですわ。
今日はクラブのない日なので、漫画道具一式は持たなくてもよいので楽です。
田畑さま、と申し上げましたが実はご本名は存じ上げないのです。
マンションから十分ほど地下鉄駅と反対方向に、民家に挟まれて大きな畑がございます。
色々なお野菜が夏の陽を浴びて、元気に育っておりますの。
わたくしは時折深夜に畑へ出向き、美味そうなお野菜をいただいております。
ですから畑を丹精込めて耕されているおかたを田畑さま、とそう心の中でお呼びしておりますのよ。
今日のランチは、新鮮な長ネギと白菜キムチ。
キャンパスで白い部分から長ネギをほおばる姿を想像すると、小さな口元からよだれが一筋。
だめだめ、お昼まで我慢よ。
わたくしは元気よく大学に向かいます。
運動不足にならないように、わたくしは地下鉄駅まではいつも全速力で走ります。
約十五分間ほどでしょうか。
だから車内では息を落ち着かせるために、大きく深呼吸いたしますの。
朝の地下鉄はお乗りになるかたが多くて、かよわいわたくしなど押し込まれて身動きができなくなってしまいます。
そう申し上げたいのですが、実際にはわたくしがあまりにも美しすぎるせいなのか、周囲の乗客のかたたちはお顔をそむけるようにして、なるべくわたくしから少しでも離れようとなさいます。
なかにはハンカチで鼻と口元を隠し、眉間にしわをよせたままのサラリーマンもいらっしゃいます。
多分そうでもしないと、わたくしに一目ぼれしてしまったことを口にせざるをえない。
そんな感じなのでしょうか。
罪深い女、ですわね。
おかげさまで、たった三駅なのですが、ゆっくりと乗ることができます。
わたくしはその五分弱の間、静かに目を閉じて乱歩先生の名作、「パノラマ島奇談」を暗唱いたします。
わたくし、声には多少自信がございます。
漫画家になるかアニメの声優になるか、いつも悩んでおりますから。
わたくしは乱歩先生の紡がれた文章を、一言一句間違えることなくそらんじますのよ。
なかには先生のファンなのか、それともわたくしの声に聞きほれているのか、目を閉じ聴かれるかたもいらっしゃいます。
でも大半の乗客のみなさんは、お仕事のことで頭がいっぱいなのでしょう。
わたくしから、なるべく遠ざかって行こうとされますの。
やはり社会人と申しますのは、朝から晩までご苦労なさっておられるのですね。
講義は必ず、一番前の席を確保いたします。
大学は学問を修める場所。
だから先生の話される内容を確実に学ぶためには、この席しかございません。
もちろん積極的に手を挙げ、不明な点をきっちり理解するまで質問をいたします。
一度質問時間が六時間に及び、先生から、「あなたにはちゃんと単位を差し上げるので、頼むから講義の時間は食堂ででも待機していてください」、と懇願されてしまいました。
それでも、「はい、そういたします」などと言うはずはなく、勉強に貪欲なわたくしは先生の次の講義の時間も、一番前の席でお待ちしておりました。
先生は教室に入るなり、ガバッと土下座され、「お願いしますから他の学生のように、適当に休んだり代返頼んだりしてくれませんかっ」、と涙声で言われてしまいました。
学生の本分は勉強にある、というのは間違っているのでしょうか?
ランチタイムは、とても楽しみですわね。
以前は学食で持参したキムチやお野菜をいただいておりましたのですが、学食のおばさまから、「弁当を食べるのは構わないんだけど、あんたのそれは臭いが異様に強烈過ぎて、他の学生から文句がきてるのよ」、なんて言われてしまいましたの。
匂い?
キムチやニンニクは匂いがあるから美味しいですし、健康にもいいのですよと説明しましたが、おばさまは硬い表情で首を横に振るばかり。
ですからそれ以来、わたくしはキャンパスに設置された、長イスに座ってランチをいただいております。
晴天の日はとても気持ちが良いのですが、豪雨や台風の時は少し困りますわ。
まさか傘をさして食す、なんてできませんものね。
そんな時は雨風をものともせず、むしろ乾いた喉をうるおすのに小顔を天に向けるだけで、大量の雨水が小さなお口いっぱいに溜まって、ちょうどいいくらいですわ。
合羽?
おほほっ、そんな無粋な衣装は持ち合わせておりませんのよ。
濡れた服は、お洗濯の手間が省けて、ちょうどいいくらいです。
今度パパにお願いして、エルメスの雨合羽を製作していただいてもようございますわね。
夕方、やっと一日の講義時間が終わります。
田畑さまのお作りになった長ネギの美味しかったこと!
パリッパリッと小気味いい音を立て、わたくしの口中で瑞々しく弾けてくれました。
もちろんママの白菜キムチはお汁まで、ぜーんぶ飲み干しましたわ。
わたくしはバッグを肩にかけると、地下鉄駅まで向かいます。
彼、正刈草雄くんの住むマンションへ行くためですの。
草雄くんは同じ大学の、法学部に籍を置く二年生。
同級です。
彼はクラブ活動はせずに、アルバイトの精を出しております。
マンションは地下鉄で一駅。
「いりなか駅」から徒歩五分の、住宅街にあります。
少しハシタナイのですが、ランチでいただいた長ネギが前歯に挟まってしまっていたので、糸ようじをくわえたまま地下鉄に乗りました。
だってえ、彼の前でニコリとほほ笑んだ時に、前歯に青ネギが引っかかっていたら、いくら超絶美貌の彼女だって幻滅されてしまいますでしょ、うふふ。
わたくしは吊革につかまりながら、一生懸命に糸ようじでお口の中をせせります。
目の前に座っていた若いサラリーマンが驚いた顔で見上げてきますが、殿方の熱い視線には慣れっこのわたくし。
これほど完璧な美しき女性に対して、多分免疫はないおかたなのでしょうねえ。
サービスで、微笑みながらウインクして差し上げました。
顏をそむけて立ち上がり、逃げるように隣の車両へ走っていくサラリーマンの後ろ姿が、悲しげでしたわ。
あなたにはあなたに合った女性がいますよ、高望みしちゃだめよ。
わたくしは少々憐みの心でつぶやきました。
草雄くんの住むマンションは、閑静な住宅街の一角にあります。
五階建ての学生専用。
だけど男子学生のみではないため、女子も結構住んでいますの。
妬けない?
って問われれば、もちろんわたくしも人並みに嫉妬すことはありますわ。
でも草雄くんを、心から信じておりますから、テヘッ。
わたくしはカルティエの腕時計に、視線を落とします。
もちろんこれも、パパからのプレゼントよ。
もうすぐ午後五時。
わたくしはマンションの入り口から、彼が住まう三階へエレベーターで上がりました。
この時間、草雄くんはアルバイトに入っていることは知っております。
玄関前でわたくしは素早く左右を見渡し、バッグからディオールの財布(はい、もちろんパパの工場で製作)を取り出しました。
合鍵?
いえいえ、そんなものは必要ございません。
一見財布に見えますが、じつはこれピッキング用の道具入れなんですの。
ママから手ほどきを受けておりますわたくしは、大抵のお家の鍵なら十秒もあれば開けちゃいます。
人は見かけによりませんでしょう。
エッヘン!
カチャッと鍵を開けると、素早く室内へ、ゴーッ!
間取りはわたくしの住むお部屋と、ほぼ同じ。
どこになにが仕舞ってあるのかは、彼女のわたくしはすべて把握しておりますわ。
それに万が一、草雄くんが急病で倒れた時にすぐ駆けつけるために、色々な個所に盗聴器を仕掛けてあります。
こんなに熱心に彼のことを気遣う女子って、多分わたくしくらいなんだろうなあ。
わたくしはバッグからタッパーに入れた、白菜キムチを取り出しました。
キッチンに置かれた机に置き、椅子に腰を下ろすと、次は日野先生が描くイラスト付きのメモ用紙を取り出します。
このメモ用紙には「マンホールの中の人魚」で描かれた、可憐な人魚がプリントされていますのよ。
「えーっと、今日はなんて書こうかしら」
わたくしは独り言を口にしながら、ペンを握ります。
「草雄くん、今日もお仕事お疲れさま!
ささやかではありますが、わたくしから陣中お見舞いです。
ママが作ってくれた、特性の白菜キムチです。
乳酸菌は身体にとってもいいんだゾウ!
召し上がれ。
容器は洗わなくてもいいですから。
また取りにうかがいます。
夏本番、お互いに身体に気を付けて頑張りましょうね。
あなたの想い人より。
うん、こんな感じかな」
わたくしは書き上げたメモを持ち上げ、そっと唇を押し付けました。
ほのかにピンクの唇の型がついたメモをタッパーに乗せ、冷蔵庫へしまってあげます。
そっと玄関から出たわたくしは、照れ隠しに微笑むと自宅へもどりました。
翌日はいつもより早起きです。
どうしてかって?
だって今日は草雄くんの町内は、ゴミの収集日よ。
彼ったら案外無精者で、生ゴミや空き缶を一緒にしてしまうことがあるんですから。
彼女だったらそれをちゃんと整理してあげなきゃ。
ルーティンワークの乱歩先生へのご挨拶と、朝食の生ニンニクと生ニラ、納豆にラッキョウのスムージーをいただくと、一番電車へ乗るために地下鉄駅へ向かいます。
もちろん全速力よ。
本日は真っ赤なTシャツに、白地のガウチョ・パンツです。
草雄くんの住むマンション横には、ゴミ置き場があります。
学生が多いので、出されるゴミの数もちょっと多め。
めげずにわたくしはひとつひとつ袋を開けて、草雄くんの出したゴミ袋を探します。
どうやってみつけるのか、ですって?
うふふ、答は簡単よ。
だって彼はダイレクトメールなんかそのまま袋に突っ込んでいるから、名前のプリントされたお手紙を見つけ出せばいいわけ。
あっ!
ありましたありました。
「あら?」
わたくしは袋の下のほうに、昨日届けた白菜キムチ入りのタッパーを見つけます。
ところが、ほとんど手つかずみたい。
「草雄くんって、キムチは辛いから苦手だったのかも」
わたくしは、少し箸をつけたものの、辛さに顔をしかめる彼の姿を想像して、思わず微笑んでしまいました。
「じゃあ次は、もう少し辛さのマイルドなキムチをご馳走しましょう」
言いながら立ち上がると、住宅街の空に今日もサンサンと輝く朝陽に、わたくしは目を細めました。
もちろんキムチはその場で美味しくいただきましたわ。
まさか手づかみってわけにはいきませんから、彼の使用済み割りばしが入っていたので、それを使いました。
だって彼の使ったものなら、わたくしはまったく気にしませんから。
これも、愛のなせるわざってことでしょうか。
つづく
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