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* * *
由季菜と別れ、カフェを出る頃には時刻は八時を回っていた。
地下鉄に乗ろうと駅に向かって歩いていたその時、思いがけず背後から肩を叩かれる。
「早苗ちゃん」
振り向けば、従妹が子連れで立っていた。
「里香」
「仕事帰り?」
「ううん。友達と映画行ってた」
「わー、いいなぁ。何見てきたの?」
母親の感嘆に驚いたのか、ベビーカーの中でまどろんでいた赤ん坊がぱっと目を開く。泣き出してしまうのではないかと、ヒヤッとする。
「『フィレンツェの怪物』ってやつ」
赤ん坊はじっと私を見上げていたが、すぐ視線を自分の手のひらに戻した。
「知ってる! ホラーでしょ、怖かった?」
「まあまあ。楓ちゃん、大きくなったね」
どちらともなく歩調を合わせ、並んで歩き始める。
こうして里香の隣に並んで歩くと、すれ違う人たちの多くが赤ん坊を目で追っていることに気付いた。
「もうすぐ一歳半だからねえ。最近モリモリ食べるようになっちゃって。あ、鞄ベビーカーにのせよっか?」
「え、いいよ。なんか悪いし……」
「遠慮しなくていいのに」
無関心を装う人、すぐ視線を逸らす人、目元を和ませる人、笑う人、笑わせようとおどけてみせる人。
自分に向けられる視線や関心に、楓ちゃんは気まぐれに反応を返す。
小さな子供を連れて歩くことに慣れていないせいだろうか。何となく落ち着かない。
「咲良、今年も保育園落ちちゃってさ」
「えー、去年だって駄目だったんでしょ? ひどいね」
里香の上の子……咲良ちゃんは今年で3歳になる。
しかし里香が住んでいる地域は都内でも1、2を争うほど待機児童が多い。
「やっぱり専業だと難しいって。それに同居で二馬力だからね、どうしても……」
里香は母親の家に二世帯同居している。
叔母はパタンナーとして在宅で働くかたわら、娘夫婦の子育てをサポートしていた。
駅の構内に差し掛かった時、ふと蛍光灯に照らし出された従妹の姿を見て、ぎくりとする。
里香はひどく疲れた顔をしていた。
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