第四章 Halte die Fahne hoch!(2)

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「グナイスト卿、午前六時を以て攻撃開始だ。 貴公も幕僚団と共に司令部に控えよ」 曙光を浴びて銀鼠色に濡れる彼我の六斤砲の列と一門ごとに甲斐甲斐しく奉仕に勤しむ砲兵たちの姿を眺めていたザビーネ・マリアは背後から下知を投げ掛けた若き将領の美しい鉄面皮を顧み、短く応えた。 「分かった」 「連隊旗手になれぬのが不服か」 血気盛んな兵隊趣味の少女将校にしては浮かぬ面持ちであるのを、連隊旗手を任されぬ不満の故と看破したギルベルトは敢えて不躾に切り込んだ。 何者かでありたいと願いながら何者にもなり得ぬ苦しみを抱えるザビーネ・マリアの心中は想像するに余りある。 己が役目と見出だした地位を奪われたようでやりきれぬ葛藤を抱く彼女に対しては妙な気遣いよりも粗雑な振る舞いこそが最も適切な礼儀とギルベルトは判じたのである。 「今回は幕僚どもの仕事を見習うが良い。将帥たらんと欲すれば欠かせぬ学びだ。 兵の督励や伝令に駆け回って貰う事もあろう。旗手よりも愉快な仕事が待っているぞ。心せよ、幕僚殿」 ザビーネ・マリアの返答を待たず敢えてギルベルトはぞんざいに言葉を続け、それきり背を向けた。 「幕僚殿か。まあ、悪くない響きだ」 友の背を追うて露台をあとにしたザビーネ・マリアはぽつりと呟く。 薄闇をつんざき、高らかな喇叭が響いた。 迷いを打ち砕けと叱するが如くに。 この務めを果たした後、今度こそ自らが何者であるかを見出だしてみせようと己を奮い起たせ、黒軍服の少女は将領ギルベルトにも劣らぬ勇ましい足取りを以て露台をあとにした。
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