89人が本棚に入れています
本棚に追加
/371ページ
あとは前の住人が誂えた、黒革張りのレトロなソファしかない。
掛け布団……コートだな。
ソファの寝心地は悪くなかったけれど、いかんせん寒かった。
ひとつ屋根の下、この睡眠格差はいかがなものか。
ワインの飲み過ぎが原因だ。明日、酒量制限を申し渡そう。
もやもやとした苛立ちにさいなまれ、ようやく意識が薄らいできた明け方、ガサガサという物音で目が覚めた。
「おはようございまーす」
部屋から雅紀が出てくる。
「布団とっちゃってごめん。お詫びに、除雪してくるね」
キッチンに灯される明かりがまぶしい。水音と鍋が五徳に当たる音が響き、僕のかわいい睡魔を追い払う。
ご、ごり、ごりり、と何かをすりつぶす音まで聞こえ、
「?」
起き上ると、彼女がハンドル付きの小箱と格闘しているのが見えた。
「コーヒー、飲む?」
豆を挽いているらしい。恐らく、その道具も大家の残したものだろう。香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、薬缶の湯をドリッパーに注ぐ音も高らかだ。
ほどなく、『強制起床コーヒー』が二人分、ダイニングテーブルにコトリと置かれる。
布団にしていたコートを羽織って、彼女の向かいに座る。
「熟睡しちゃった」
照れ笑いの口元に、寝顔がフラッシュバックした。後ろめたい気持ちになって、
「あー……除雪、手伝います」
と申し出てしまう。一応男だし、力仕事を押し付けるわけにはいかない。
いかないんだけど、理不尽だ。
まじで眠いし。ああーもう!
やり場のない苛立ちのなか、顔を洗った。
着替えて表に出るとまだ暗い。
新雪にスノースコップを差し入れ、跳ね飛ばす。朝日が雪原を輝かすころ、がたがたの道が出来上がった。
雅紀が道から雪の中にダイブする。
朝日が白金に染める雪原に青い影を躍らせて、羽ばたくように何度も、何度も。
眠かったけれど、額を撫でる朝風の冷たさが心地いい。
無理やりな爽やかさに、僕は深い息をついて瞳を閉じた。
最初のコメントを投稿しよう!