3、仕事と生き方

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 しばらく黙っていると、雅紀がこちらへ来て、僕の脱いだ手袋を拾い上げる。  昨日、生協で買った、分厚い合皮のグローブみたいな手袋だ。 「いいじゃん、変わってて」  すぽっと、大きいそれをはめて、鍋の蓋を開けた。  鍋つかみが欲しかったらしい。 「頑張ってみれば?」  もうもうと立ち上る湯気の向こうでそう言われ、僕は急激な恥ずかしさを覚えた。  自分のことを評価されると、すぐに苛立つ。  雅紀にそんなつもりがないって、頭ではわかるのだけど。 「がが、頑張ってって、簡単じゃないし」 「頑張ることくらい、簡単なことないじゃん?」 「は?」 「だって、頑張ればいいんでしょ? 頑張るだけで何かできるなら、そんなの超簡単じゃん」  何を言ってんだ。 「頑張れないならさっさとやめて、頑張れることやったらいいよ」  さすが変人。  きっと小さいころから頭よくて、ひょいひょいと進学したんじゃないだろうか。  そのうえ、運動も得意で、努力してもできない、なんてこと経験したことないんだろうな。  まあ、料理の腕はいまいちだけど。   「で、でも、郵便配達って……誰にでもできるし」 「誰にもできない仕事なんて、そうそう無いでしょ。宇宙飛行士にでもなりたいわけ」 「ちちち違うけど」  ぽーい、っと手袋がこっちに飛んでくる。反射的に両手で受け止める。 「ナイスキャッチ。いいじゃん、郵便屋さん。みんな知ってる仕事だし。レンジャーはめんどくさいんだよ、いちいち仕事内容説明するのが。『どんな仕事?』ってみんな聞くでしょ。そのあと絶対、『給料いくら?』って聞かれるんだよ。てめーの給料から先に言えっつーの。余裕で暮らせるくらいですって答えるの、そしたら絶対、『公務員?』って聞くんだよね。どういう意味かわかる?野鳥の調査なんて大した仕事じゃないと思ってるんだよ。そんな仕事でお金もらえていいねって思ってるんだよ。ああああああ、ムカつく!」  どん、と粥の入ったどんぶりをテーブルに置き、ワインを取りにキッチンに戻る。 「職業に貴賤なしっ! 前進あるのみっ!」  大見得を切る彼女の頭上に、浮かんでいるものを、僕ははっきりと目にした。  ポジティブ。  ポジティブって、目に見えるらしい。
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