1、卵色の家

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 さっきの電話の声も彼だったのだろう。他のテーブルの女性客が、ちらちらとこちらを見ている。もちろん彼が魅力的だからだ。 「あ、森永、です」  し、しまった、さっきから、何度も名前は呼ばれているのに、思わず名乗ってしまった……。  励ますように彼が微笑む。 「シェアハウスには、住まないんですか?」 「あ、悩んでるところで……」 「いいなあ。僕なら迷わず、入居しちゃいますよ。誰かと料理したり、夜遅くまでしゃべったりできて楽しそうですよね」 「いえ……相手が……女性で」 「ええー! それなら僕と代わってください! なんてね。跡継ぎは旅館にいなきゃいけないですよね。でも、羨ましいな」  にこっとダメ押しのように笑い、どうぞごゆっくり、と彼は席を離れた。軽やかな冗談といい、絶妙な距離感といい、師匠とあがめたいほどのコミュ力だ。  名産のバターや牛乳をふんだんに取り入れた、温かい食事を腹に収めた後は、薬効の高い温泉に浸かる。男湯は僕ひとりで、もうもうと立ち上る湯煙のなか、先程の「羨ましいな」という言葉をかみしめた。  サービス業ならではのリップサービスだとは思う。  でも、耳触りがよく、心がぽっと温まる。  それに引き替え思い出されるのは、雪の上、叫んだ自分の声。 『いいい、いや、だめです!』   吃音交じりの悲鳴。湯に顔を沈めた。このまま溺死したい。
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