災難なショコラデー3

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災難なショコラデー3

 エルフランは、もしもの時のために水を入れても漏れない袋を用意してくれた。  多分、ショコラの匂いがなければ吐くことはないと思うのだけど、香水の匂いで駄目かもしれないから、ジャケットの内ポケットにいれた。  俺はいつも専用のデザイナーが用意するドレスと騎士の服の混ざったようなものを着ている。正直どうかとは思うが、男の妻をもつ男達に人気だそうで、流行りのようなものになっている。王城のパーティではあまりみないが、少し格式が落ちる貴族のパーティでは女性もそれと同じようなものを着ていることがあるらしい。ドレスといっても肌を見せたがらないクリストファーが了解を出すものだから、ある意味清楚なものだ。襟首は高く、手首まで隠れている。シャラシャラとした生地は、見事な染めの技術で艶やかな花などが描かれていて、長いものだと足首まで隠している。その下にトラウザーズを穿いているから、正直夏は暑い。  エルフランは、変装という意味も兼ねて、普段とは違って俺に男物だとちゃんとわかる正装を用意した。騎士が着るものと同じ形だが、華やかな赤で、少し恥ずかしい。トラウザーズは濃紺で普段楽な服が多い俺としては少し窮屈だった。 「辛くないですか?」  何故こんなに窮屈なのだろうと思って襟首を触ると、生地の強度が違うのだとわかった。 「ええ、少し動きづらいですけど、大丈夫です」 「こうやってみると、ルーファス様も本当に大きくなられたんですね」  エルフランが目を細めて、まるで自分の子供を見るような目で俺を見た。 「クリストファーが大きいから俺は小さく見えるんですよね」 「それもありますが、前はもう少し華奢な感じでしたから」  嬉しく思って当然のその言葉に、ドキッと胸が激しく打った。  クリストファーは、華奢なほうが好きなんじゃないだろうか。鍛えている場合じゃなかったかもしれない。 「そうですね」 「なんというか、美しくなられましたね」  俺の喉からゲフッと変な息が漏れて、思わずエルフランを凝視した。その目は茶化す色などなく、俺は戸惑った。 「エルフラン、正直に言ってもらっていいですか」 「はい」  迷いながら、俺は言葉を探した。 「俺は、クリストファーのことが好きなんです。でもクリストファーは、もっと子供だった時の俺のほうが好きなんじゃないですか」  エルフランは、驚きを隠そうとはしなかった。少し半開きになった唇から出る言葉を待つ俺の額に手を当てた。 「まだ熱が高いのでしょうか――」 「いえ、あのっ」 「クリス様は、昔のあなたのことも勿論愛されておりましたが、多分今のほうがメロメロではないでしょうか」 「メロメロ・・・・・・?」 「愛しすぎて溶けだしそうという意味です」  エルフランがそう言うのなら、クリストファーが俺に対して愛情を持っていると信じてもいいのだろう。 「そう・・・だと、いいのですが――」 「クリス様が普段あなたにそういう服を着せない訳がわかりましたよ」 「どうして――?」  理由などあったのかと、不思議に思って尋ねると、エルフランは片目を瞑ってウィンクした。 「男だけでなく、女にも狙われるからですよ。こんなにお似合いになるとは思ってみませんでした。まるで物語に出てくる美しくも凛々しい騎士ではないですか」  自分の姿を姿見で見てみると、思っていたよりも似合っていた。こういう服は、そういえば着たことがあまりなかったのだ。額のサークレットにクリストファーの紋章がついていて、用意してくれていたんだと思うと少し嬉しい。腰まで伸びた髪はいつもは流していたが、今日は少し緩く結んでもらった。  クリストファーはこの姿を見て、何というだろうか。失望しないだろうかと心配になりながら、俺はエルフランに付き添われてパーティ会場に向かった。  今日は体調がすぐれないので、いつもとは違い馬車を用意してもらった。エルフランが先に降りたが、エスコートはされなかった。  そうだ、この格好だと男として毅然とふるまわなければいけないのだと、気付く。  人が沢山いて、何故だか俺を見ている。公務の時の癖のようなもので、視線を定めず微笑むと、周りが騒めいたような気がした。折角ばれないように慣れない服を着てきたというのに、どうしようかとエルフランのほうを見ると、「あまり微笑まないように」と言う。 「え、何故?」 「クリストファー殿下が焼きもちを焼くからですよ」  エルフランは、そうやって俺を喜ばせるようなことを言う。クリストファーは、そんなことはしないだろう。どう考えても俺のほうがクリストファーを好きだし、独占欲は強い。  外交も勿論あるから、クリストファーは沢山の美しい姫たちと踊る。あの逞しい一流の彫刻家が精魂込めて彫ったような容姿は、どんな姫も一瞬で恋に落ちるから、俺はいついかなる時も嫉妬に焼かれてしまわないように気をつけなければいけない。  クリストファーが潔癖症で本当に良かったと思うのだ。クリストファーのは、手を握ったりダンスを一緒にしたりするくらいじゃ発症はしないらしい。  俺とロッティを間違えてキスをしたとき、吐いたというから、口付けやそれ以上の行為の場合だけに限るのだろう。  あの腰が砕けてしまいそうな口付けが俺のものだということだけが、俺の嫉妬を治める唯一の手段といってもいい――。 「ルーファス様、そちらではないですよ。こっちです」  クリストファーの口付けのことを考えていたら、エルフランを見失ってしまっていたらしい。人が多くて歩きづらいが、エルフランの声を探そうとキョロキョロと視線を巡らした。 「あ、クリストファー――・・・・・・」  俺の神経はエルフランではなく、クリストファーらしき人物を察知した。 「ルーファス様、そちらは・・・・・・」  人の流れのせいで、エルフランは中々こちらに来れないが、俺は流れのままにクリストファーらしき(というかあの髪は目立つ)人物の方に歩いていった。 「あれ、こっちだと思ったのに――」  人の流れが切れて、俺はクリストファーを見失ってしまった。そして、エルフランも俺を見失ったのか、側にはいなかった。  螺旋階段を登るべきかどうか迷った俺の視界に、赤が見えた。思ったより近かったんだと、歩もうとした俺の目に、クリストファーの後ろ姿らしきものと、知らない誰かの姿が重なって見えた。  それは、抱擁のようにも口づけを交わしている男女にも見て取れた。 「――っ」  俺は叫び出したい気持ちを拳を握ることで堪えた。 「クリストファー・・・・・・?」  息を飲む音が聞こえた。 「ルーファス――」  その声を俺が間違えるわけがない。振り向いた俺の目に映ったのは、赤く濡れたクリストファーの唇だった。口紅の赤は、閃光のように脳裏に焼き付いた。 「あら、もしかして、ルーファス・・・妃殿下? いつもと違う佇まいに私、気付きませんでしたわ」  自分に近づき、誇るような女からむせかえるような香水の匂いがした。 「ルー・・・・・・」  目を見開いたクリストファーに近付くと、同じように花の強烈な香がした。  ああ、なんだ、潔癖症は治っていたのか――。もしかして・・・・・・、もう、俺はいらないのか――。  昨日の自分を思い出して、笑いがこみあげそうになる。そんなこととも知らずに、一年間愛し合えることを信じてショコラを差し出し、食べたのは自分だけだった。入らないといえば、あんな場所に入れられて、信じられないような抱き方をされた。  唯の性欲を満たすだけの存在だったのだ、俺は――。  情けなさを通り越した。普段からは想像も出来ないほどの怒りがこみあげてくる。湧きあがったそれは、ドロドロとして真っ黒で、正気を失うというのはこういうことかと思った。 「そのような格好をしていると、妃殿下とは思えませんわね」  女は、焦ることもなく、戸惑うこともなく、悪びれた様子など全くない仕草で首を傾げた。  目線を合わせると、にっこりと微笑まれて、吐き気がした。 「ルーファス、何故ここに来たんだ」  クリストファーの言葉に、俺はカッと意識が燃え上がった。女のあまりに普通の態度も、クリストファーの心変わりにも、怒りというには強すぎるそれを止める術は俺にはなかった。  ゴスッ! と鈍い音がした。  捩じりこむように、俺の拳はクリストファーの腹にめり込んだ。 「ああ、本当に、俺は馬鹿だよ」 「ルーファス様! クリス様!」  エルフランが人気の少ないこの螺旋階段の裏側に気付いてやってきたのは、 クリストファーの膝が砕けて、蹲るように地面に膝を落とした瞬間だった。 「キャ・・・・・・!」  驚きに叫ぼうとした女の口をエルフランが塞いだ。 「もう潔癖症も治られたのなら、俺なんかいらないでしょう――。俺は好きにさせてもらいます」  俺は、はめていたクリストファーとの結婚指輪を抜き取り、クリストファーの前に落とした。カンッと軽い音を立てて、それはクリストファーの足元まで転がった。  踵を返し、歩いていこうとした俺を止めたのは、エルフランの切羽詰まった声だった。 「ルーファス様、袋を!」  とっさに、ジャケットの内ポケットから取り出した袋を取り出して、差し出すとクリストファーはそこに胃液が上がった酸っぱい液体を吐き出した。  内臓を抉るように打ち付けたから、わからないでもないが、その吐いたクリストファーの顔は青ではなく、赤かった。 「発疹・・・・・・?」  エルフランが持っていた飲み物を(俺が吐いた時に口を濯ぐように持っていてくれたらしい)クリストファーに渡すと、真っ赤な顔をしたままクリストファーは口の中を濯いで袋に吐き出した。 「・・・・・・何をされていたのですか・・・・・・」  エルフランの剣の混ざった声に俺も我に返った。 「昨日、ルーファスに酷いことをしてしまったから――・・・・・・、罰を・・・・・・」  俺は意味がわからないまま、立ち上がったクリストファーに手首を握られた。 「お前に酷いことをしてしまったから、私は――」  発疹のせいで赤くなった顔を青くしたクリストファーは、俺を抱きよせた。 「俺の事、もう触りたくないんじゃないの?」  朝、クリストファーは一度も俺に触れずに行ってしまったことを思い出す。てっきりショコラまみれになって吐いてしまった俺をみて、潔癖症がでて触りたくなくなったのだと思っていたのだが、触れる指はとても大切なものをなぞるように俺の頬を撫でた。 「クリス様、ここでは少し・・・・・・」  女は、エルフランの腕の中から興味深そうに俺たちを見ているし、野次馬のようなもの達も遠巻きに見つめている。 「ああ、この顔じゃパーティも欠席するしかないだろう。ミリアム姫、これで私が靡かないわけがわかっていただけましたか」 「ええ、クリストファー殿下、口付けの度にそんなお顔になっていたら大変ですわね。ルーファス妃殿下だけ・・・・・・大丈夫なんですのね」 「ええ、愛してますから――」  抱きしめられて、戸惑いの中、俺はそれでも嬉しかった――。  愛していると言われて、戸惑いながらも凍てついていた心が緩んでいくのを感じた。
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