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災難なショコラデー
寒いのはあまり好きじゃない。
「ルーファス様、温かい紅茶です。ミルク入れてよかったですよね?」
マリウスが入れてくれた紅茶を受け取って温かさにホッとした。風も強い日だというのに街中を見て回るために外をうろついていたせいか、身体が冷えきってしまった。
「ありがとう、マリウス」
店の忙しくない時間を狙ってきたつもりだが、店は凄い繁盛で、ひっきりなしに客が入ってくるのがここからも見える。マリウスはエルフランと結婚して、店の隣に趣味のよさそうな家を建てた。その家の温室になっているバルコニーで、約束していたものをもらう。
「これ、なんだか箱大きくない?」
「特別に作ったんですよ。ルーファス様とクリストファー様の分ですからね。いい宣伝になりました。お礼です」
「ありがとう。でも俺は聞いた話をしただけだよ?」
「同じ話を聞いても、僕に話してくれないエルフラン様のことを考えれば――」
「あはは。そうか、それなら有難くいただくね」
事の始まりは、王宮に滞在していた異国の大使に冬のイベントについて聞いたことだった。
ショコラデーというのが、その国にはあるらしい。大使のいうことには、国で一番日が短い時期に行われるもので、粉のショコラをミルクで溶かしたホットショコラを無言で愛する人と飲み干すと、その一年の間二人の愛は壊れないというものだった。
だからその時期は、とてもたくさんのショコラが売れるそうで・・・・・・という話をマリウスにしたのだ。同じように聞いていたエルフランは、全くそんな話をしなかったそうだが、まぁエルフランのことだからわからないでもない。
折角だから、この国でもショコラデーを作ってみようという話になった。
俺は、王室の情報誌『カザス国の至宝』という本の『妃様の一日』というよくわからないインタビューでその話をしたのだった。
公務の一日に付き合ったインタビュアーに、もしこの国にショコラデーがあったら、絶対クリストファー殿下と一緒に飲んでもらいますね、でも恥ずかしくて飲み干せないかもしれないから、ショコラ一箱を一緒に食べるとかだったら・・・・・・楽しそうですね、と言ったのだ。それが記事になり、この国に空前のショコラブームが来たのだった。
それは俺も驚いた――。まさか自分の言った言葉でこんなことになるとは。
勿論マリウスはそれに乗って、毎日嫌になるほど可愛いショコラをつくり、箱で売っている。その一つを予約していたのだが、マリウスの好意はショコラの量を大幅に増やしてくれているというものだった。
計十二個のショコラは、六個づつ、果たしてクリストファーは六個も食べてくれるのだろうかと少し心配になるのだった。
一緒に来ていたアルジェイドとマオにも一箱(こちらは通常サイズ六個入り)ずつくれて、マリウスはショコラ製造に戻っていった。
「帰りは馬車にしますか?」
アルジェイドの言葉に俺は頭を振って、「もう少し歩きたい」と言った。学院を卒業して、公務も人並みに果たせるようになったが、そうなるとあまり自由になる時間がなくなってしまった。街を歩くのをクリストファーがあまりいい顔をしないので、本当にたまにしか自由に出歩くこともできないのだ。
「わかりました。でも大通りを過ぎたら、馬車が待っていますから、それに乗ってくださいね」
「ジェイドは融通が利かないなぁ」
マオが呆れたように言う。
「風邪をひいて、公務を休むことになれば、後悔するのはルーファス様だろう」
反論できずにマオが黙り込むのを見て、俺も頷くしかなかった。アルジェイドもマオも俺のことを考えてくれていると思うと嬉しい。
「マオ、焼き鳥食べながら帰ろうか」
むーと唸っていたマオにそういうと、全てを浄化したような清々しい顔でマオは荷物を持った。
俺の利き腕は右なので、左をアルジェイド、後ろをマオが歩くのはいつものことだ。
「ここの焼き鳥が美味しいんですよ」
マオの食、特に肉に対する情熱はもはや冬の寒さも吹きとばすほどだった。足早に歩いていると身体も温まる。三人で焼き鳥を買って、道をブラブラ歩く。こういう時は、勿論変装というか街に溶け込む服装を心掛けているから、パッと見た感じは休日の騎士か冒険者だと思う。二人は帯剣しているし、雰囲気も違うから普通の人には見えない。
「あ、あの・・・・・・えっと――」
そんな声を後ろに聞いて振り向くと、そこには神官の服をきた男が立っていた。大きな身体だが優しそうな目をした男だった。
「ギーニオン・・・・・・っ」
アルジェイドとマオも同じようにその男の名を呼んだ。
懐かしかった。
「アルジェイドとマオ・・・・・・、それにルーファス――・・・・・・」
男も懐かしいと目を瞬きながら、側に寄って来た。それをアルジェイドとマオが前に出て、俺との間に入り込む。
「剣を持っているだろう? 短剣も。ルーファス様に寄るなら全部渡せ」
「アルジェイド?」
ギーニオンは、訝し気に俺を見つめた。
「ごめん――」
本当は「気にしなくていい」と言いたかったが、そういうことは護ってくれているアルジェイドやマオ、俺を愛してくれているクリストファーを裏切ることになるから言えなかった。
「ああ、よくわからんが、預けよう」
ギーニオンは鷹揚に笑い、アルジェイドに得物を預けた。
「ルーファス様は、今はこの国の王子妃となられた。私たちは、護衛になったんだ」
「神殿を出たのか?」
「出たというより、私とマオはルーファス様の護衛のためにあの学校に入ったんだ。ルーファス様は神官というより『星見』を目指していたがな」
アルジェイドが簡単に説明をしてくれた。ギーニオンは神学校時代の同輩だった。途中、「お前を見ていると、道を失いそうになる」とルーファスに告げて、違う神学校に転入していったのだった。
ギーニオンは、最後のときにそうは言ったものの、決して俺に恋慕しているような態度はとらなかった。だから俺があまりに体力もなく、着いていけてなかったころなので、イライラするから学校を変えたのだと思ったものだ。
それが違うということに気付いたのは、昔の話をしていた時にマオに言われたからだ。
ギーニオンは、ルーファス様のこと好きだったんだよ。いつか、ルーファス様を押し倒してしまうんじゃないかと気が気じゃなかったとマオは言った。
「あいつは真面目だし、強かったから、いざというときはどうなるか心配だった」
マオに言わせると、見ていてあからさまだったらしい。勿論、鈍感だと言われる俺は、そんなこと一つも気付かなかった。
「王子妃? この国だとクリストファー殿下か?」
「ああ」
「『星見』は? あれほどなりたがっていただろう? おれはてっきりルーファスは『星見』として神殿深くで勉強しているとばかり思っていたよ」
あの頃世話をしてくれていたギーニオンには申し訳なかったが、俺はもう『星見』になりたいとは思わない。『星見』になれば、誰かの役にたつのではないか、誰かが欲しいと言ってくれるのではないかと期待していたあの頃の自分は、もう既にいない。
「ギーニオンも応援してくれてたのに、ごめん。俺は、今はクリストファー殿下の妻としてこれ以上ないくらいに幸せなんだ――」
目を軽く見開いたギーニオンは、「でも!」と俺の手首を掴んだ。俺は、アルジェイドに目線で止まるように頼んだ。
「ギーニオン――・・・・・・」
『星見』という言葉の前にしても、凪のように穏やかな俺の心をギーニオンはわかってくれたのだろう。手首を離し「すまない――」と少し辛そうに謝った。
「おれがとやかく言う必要などないのだな。あの頃の餓えたようなお前の目とは明らかに違う。幸せなんだな」
ギーニオンの言葉には、安堵があった。俺の事を心配してくれていたのだと思うと、有難い。
「ああ、幸せなんだ――」
「じゃあおれはもう何も言わない。幸せじゃないなら、神殿に無理やり連れて帰りたいところだけどな。まだ新米神官だが、祝福を贈っていいか?」
ギーニオンの気持ちが嬉しかった。
「もちろん」
俺は、街中の店の脇だが跪いた。ちなみに焼き鳥の串はマオに預けた。
「ルーファスに光あれ――、君の進む道にどんな時も風が吹きますように」
ジグラード教の守護は光の精霊と風の精霊だとされている。最大の祝福を贈られて、俺の周りを風が通り抜けたように感じた。
「ありがとうございます」
立ち上がった俺をギーニオンは少しだけ戸惑いながら、手を広げた。俺は、その手の中に身体をいれて、ギーニオンを抱きしめた。頬と頬を寄せるのが神官同志の長い別れの挨拶になる。その後で、マオとアルジェイドもギーニオンと抱き合い、離れた。アルジェイドがギーニオンに剣を返し、「神殿のものがルーファス様の側に寄るのを殿下は好まない」と告げる。
殿下とは、クリストファーのことだろう。
「ああ、わかった。この国は少し特殊だからな」
心得ているとばかりにギーニオンは笑った。
「また機会があればお目にかかることもあるかと思いますが、その時は知らぬ振りをしたほうがよろしいでしょう。ルーファス殿下」
ギーニオンは、そういって腰を折り、俺に頭を垂れた。
少し寂しく思いながらも、ギーニオンが俺のために言ってくれているのだとわかっているから、「ああ、ありがとう、息災で――」と何とか返すと、ギーニオンはクシャクシャと俺の頭を撫でた。
そう言えば、昔よくこうやって慰められたなと懐かしく思う。
アルジェイドとマオと連れ立って歩きながら、また一人古い友人を失ったのだと、俺は寂しさを紛らわせるように、足早に大通りを抜けたのだった。
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