3128人が本棚に入れています
本棚に追加
/290ページ
家族の肖像1
今日は、朝のうちに公務が終わって、書類をまとめた後は、離宮に戻って寛いでいた。
部屋から見える木々は紅葉していて、四季のあるこの国は冬に向って少しづつ歩みを進めている。王都は冬といっても、雪がちらつく程度で、積もる事はほとんどない。
部屋から見える季節の移り変わりは、それだけで景色が絵画のようだ。そのように窓も庭の設計されているのだろう。
四年間、高等学院で勉強した後、王族の一人として少しづつだが公務にも参加している。まだ半年ほどだが、その忙しさにも慣れてきた。
俺が手を貸して開店した友人であるマリウスの洋菓子店『妃のタルトレット』は、既に王都で人気店として有名になっていて、公務の帰りにアルジェイドに頼んで買ってきてもらったものを本を読みながら食べるのが最近の楽しみだ。
「ルー! 何をのんきに……『妃のタルトレット』のイチジクのタルトじゃない! 私もいただくわ」
そこに乱入したのは、双子の妹ローレッタだった。どこからやってきたのかロッティの身の軽さは、二人目の子供を妊娠している現在でもいささかも衰えていないようだ。
「じゃあ、そこに座っていて」
部屋で一人で寛いでいる時は、侍女であるマリエルには離宮の中にあるマリエル達の居住区に帰ってもらっている。どうしても用事があるときは呼ぶけれど、そうでなければ晩餐の前まで自由時間だ。一昨年アルジェイドとの間に子供が産まれた彼女は母としても忙しいので、結構自由な形での王宮勤めというわけだ。他にも侍女がいるが、俺は基本的に自分のことは自分でやりたいタイプなのでちょうどいい。
「ルー、私ミルク入れてね」
「葡萄ジュースだよ」
「紅茶じゃないの?」
「あまり利尿作用のあるものは飲まないほうがいいんじゃなかったけ?」
ロッティは、あまり気にしていないようだった。二人目ということで、随分慣れているようだけど、俺は相手が妊婦さんだと思うといきなり産まれてしまうんじゃないと心配になる。一人で出歩かないで欲しい……。
葡萄ジュースにイチジクのタルトはどうだろうと思ったが、さすがロッティはそんな細かいことには気にしない。パクパクと美味しそうに食べ始めた。
「何か用事だったんじゃないの?」
入ってきた時の形相からいって、重大事件かと思っていたのだけど……。
「そうよ! タルト食べている場合じゃないわよ! あの……」
そこまで言って言い澱むとはロッティにしては珍しい事だ。
目線で促すと、少し上目遣いに窺いながら、口を開いた。
「クリストファー殿下に隠し子ですって……。ルー、聞いてる?」
口に何も入れてなくてよかった……と、咄嗟に思った。噴出すとろこだった。
「何、それ。新手の嫌がらせかなんか?」
ジロッと睨むと、ロッティは慌てて首を振った。
「違うわよ! そんな嫌がらせするわけないじゃない!」
「ってことは、本当のことなんだ」
そういえば、昨日の夜、クリストファーが時折ぼんやりするのを不思議に思ったっけと、思い出す。
「それでね、ルーさえよければ、侯爵家(うち)にこない? ルーと一緒なら旅に出してもらえると思うのよ」
ロッティの放浪癖は、相変わらずだ。大体ダリウスと結婚したのだって、ダリウスなら愛人を沢山作るだろうから、自分は自由になれるという打算だったというから呆れる。
ロッティの思惑は外れて、ダリウスは結婚してからそれほど遊んでいないようだった。ほぼ毎日のように屋敷に帰ってくるし、旅に出たいというと着いて来るらしい。そしてロッティを旅にだしたくないがために子供を仕込んでいるようだった。
「俺が一緒でも旅には出してもらえないと思うけどね……」
ロッティがいう旅とは身分を偽って民間に溶け込んだ旅だ。俺はそんな旅をしたことがないからわからないが、ダリウスは許しはしないだろう。それにダリウスは、ロッティの側にいたいだけなのだ。
『おれは自分の過去を後悔することだけはないと思っていた』
ダリウスは、以前そんなことを言っていた。その彼は、今は後悔の海で溺れかけているのだそうだ。
『どんなに愛しているといっても信じてもらえない』
ダリウスが愛を囁くのは自分だけでないとロッティは思っているから、『ありがとう。気にしなくていいのに』と宥められ、『私も貴方を愛しているわ』という言葉はもらえないらしい。自業自得とはいえ、ダリウスが少し不憫になる。
クリストファーに愛人……、隠し子……。
思わず逃避してしまったが、ダリウスを憐れんでいる場合ではない。
「ルーには内緒なんですって」
だからリリアナのところに遊びに来たついでに姿をくらましてこちらに来てくれたらしい。ロッティらしい。
「内緒か……。じゃあ言ったってことは言わないようにしないとね、ロッティ怒られちゃうね」
「そうね、ばれちゃうわね。旅はともかく、実家には戻りにくいでしょ。いつでも来てくれていいわよ」
「家出なんてしないよ……」
ロッティなりに気を遣ってくれているらしい。まぁ誰から聞くよりも心乱されずに聞けたのはロッティの性格だからだろう。他の……クリストファーから聞いていたら、どんな態度をとっていたのかわからない。それこそ、その場から家出していたかもしれない。
そういう意味ではロッティは、やはり双子の妹だからだろうか。衝撃が半分になったような気分だ。
「いつでも来てね。呼んでくれたらすぐに駆けつけるから!」
下心の全くない味方というのは、それだけで嬉しいものだ。
「気をつけてね」
ロッティは庭の木々の隙間から帰っていった。どこのスパイだろうと、微かに笑いが漏れる。
どうしたらいいんだろう、俺は考えながら、二人分のティーセットを洗い(マリエルに怒られるが)片付けた。
本を開いたが、やはり字面は空転した。
男だろうか、女だろうか……、いくつなんだろう。まだ生まれたばかりなのだろうか……。
それにしても、クリストファーはあれだけ俺を抱き潰しておきながら、他にばら撒く元気があるということか……と思うと、悲しみよりも驚きの方が上回ってしまった。試験期間などに触れ合わない時期があったから、その時なのだろうか。
――俺は……、どうするべきなんだろうか。
本にしおりを挟み、目を瞑る。
愛人を同じように住まわすということも有り得ないことではない。クリストファーが認知すれば子供は王族となる。子供と、愛人と、クリストファーと……俺? 有り得ない想像に笑いが込み上げてきた。
俺は本当に家族というものに縁がないのかもしれない。
子供から母親を取り上げる? そんなことを俺が出来るわけがない。
俺が身を引くのが一番だよね……。
クリストファーに抱きしめられることもなくなり、ぬくもりを失って生きていきていけるのだろうか……。
「ただいま。帰った」
ぼんやりしていたら、夕方になっていたようだ。まだマリエルは戻ってきていないから、クリストファーの仕事が早く終わったのだろう。
「おかえりなさい」
立ち上がり、クリストファーの微笑む顔を見つめ側に寄ると、そっと優しく抱き寄せてくれる。
クリストファーが頬を撫で、俺の唇に口付けを落とす。
その瞬間、背筋に悪寒が走った。ゾワリと、何か得体のしれないものが背を這ったようなそんな感触に体が強張った。
「どうした?」
「ごめん、風邪ひいたみたいなんだ。昼からずっと寒気がしてて……」
身を慌てて離し、距離をとると、心配そうに額に手を伸ばしてくる。それを避けたい衝動を必死に堪えた。
「そうだな、熱が出てる……」
「俺、寝てもいいかな?」
「勿論だ。すぐに用意しよう。薬と……」
本当に熱が出ていたようで、クリストファーの手が冷たく気持ちよかった。
「いいよ、マリエルに用意してもらうから。俺、自分の部屋の方で寝るね。移したくないんだ」
口早にそう告げた。そっけなかっただろうか。早くここから、クリストファーの前から逃げ出したい。
クリストファーが口を開く度に、子供の事を……、別れを言い渡されるんじゃないかと、怯えてしまう自分が滑稽だが、可哀想になってくる。
「駄目だ、夜中に具合が悪くなったらどうするんだ」
「でも移したくないんだ。それに大したことないよ。こんなの明日の朝には治っているよ。仕事もあるし」
「公務なんて休んだらいいんだ! お前にはまだそんな重要な仕事は振ってないはずだ。休んだからといって差し障りなんて……どうしたんだ?」
「どうせ……どうせ俺の仕事なんて、なくてもいいものだって知ってる! でも俺だって、少しでも……役に立ちたいと思って……」
俺はクリストファーの手を払って、普段はあまり使っていない自分の部屋に逃げ込んだ。
「ルーファス!」
クリストファーの戸惑ったような声を振り切るように扉を閉めた。
「しんどいんだ……。お願い、マリエルを呼んで」
クリストファーに世話を焼かれるのが辛い日がくるとは思っていなかった。クリストファーの前で冷静でいれる自信がない。
「わかった……。だから、ベッドで……」
クリストファーは俺の気持ちを汲んでくれたようでそれ以上入ってこようとはしなかった。
「うん、ごめんなさい……。おやすみなさい」
「ああ、お休み。愛してるよ、ルーファス」
いつものようにクリストファーは、寝る時の言葉を告げてくれた。
「俺も……愛してる……」
愛しているから辛い……。
俺は男だから、クリストファーの子供を産む事が出来ない。だからというわけじゃないけれど、少しでもクリストファーの役に立ちたかった。けれど、高等学院を卒業したからといって、俺が国政に参加できるわけでもないし、公務といってもクリストファーが言ったように『飾りとしていれば箔がつく』という程度のことしかさせてもらえない。
自分が使えないことがなにより腹立たしく、情けないというのに……。
休んだからといって差し障りがないとまで言われてしまうと、恥ずかしくて地面に穴を掘って隠れたい。だから自分の部屋に逃げ込んだわけだけど……。
クルクル風に吹かれてあっちこっちを向く風見鶏のような自分の心が、俺は本当に情けなくて、マリエルが来るまで、扉の前で立ち尽くして、心配した彼女に怒られてしまうのだった。
最初のコメントを投稿しよう!