父の死

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ほどなくして、母の実家のある北海道に引っ越しをしました。 母の体が回復した後、母は朝から晩まで働いていました。今だから思うのですが想像もできない位の心身共に辛かったと思います。 兄は、父の思いもあり野球を続け(最終的には高校野球の北海道大会決勝まで頑張っていました) みゆさんは。。。お母さんですねっ(笑) 父の顔を知らない妹。テレビを見ていて石原裕次郎さんが出てくると 「おとうしゃん、おとうしゃん」って言うんです。それがまた切なくていとおしくて。。。 以前人気コミックの「赤ちゃんと僕」をリアルに体験していました。 学校から帰り、母が保育園にお迎えにいけない時はお迎えに行き。結構保育園まで道のりがありましたので、小学生のみゆさんは平気でしたが、妹ちゃんはまだ赤ちゃんからやっと歩けるようになった位。 「ちかれた(疲れた)、もう歩けないよっ」とやっぱりなりますよね。 夏は自転車でお迎え出来ましたが、北海道の冬は雪が積り自転車は乗れません。 歩きなので仕方なくおんぶするのです。 雪の中、小学生が小さい子をおんぶしても何分も持たず、数分で疲れてしまいます。でも必死でしたね、まず家に着かないと いけないので、本当に冬は必至な家までの道のりでした。 そんな姿がどなたかの目に止まったようで 髪を切りに美容院へ行った時、 「この前ラジオでおんぶしながら一生懸命歩いている女の子の事話していたけれど、これみゆちゃんだよ」って なんだか恥ずかしくなっちゃいましたねっ(笑) 夕ご飯も、母がいないときは宅配で材料が届いていましたので、レシピを見ながら何とか頑張って作っていました。
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