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そしてサックスを買って貰えない母がやきもきしていたある日の事である。
「霞子さん!」
父が小声で母を手招きした。
「なぁに? 芝崎」
「早く早く!」
父は母をしきりに急かして借りていた自室の前に連れて行く。
「もう、何だって言うの?」
「霞子さん、これ使って下さい」
父が部屋から引っ張り出したのは、紺色のハードケースだった。ハードケースから出てきたのは少し錆びた鈍い光を放つ金色のサックス。しかし母の瞳はキラキラと輝いた。
「どうしたのこれ? し、芝崎」
母は歓喜で声が震えたらしい。
「父が知り合いから安く買ったそうですよ、中古ですが、質は悪くないそうです」
「これを、どうして私に?」
「最近ずっとサックスの曲ばかり聴いていたじゃないですか。だから私と父からのプレゼントです。お父様には内緒ですよ」
父はしーっと口元に手を当ててウインクした。あまりにも嬉しくて、妙齢にも関わらず母は思わず父に抱きついてお礼を言った。その時父の顔が赤くなった理由を知ったのは、少し後だったらしい。
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