一歩前ヘススム

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「あ、あの、……おはよう、ござい、ます」 「あっくん! おはよ!」 「希くん? あ、お、おはよう」 「のぞと半分こだよ!」 「え? 半分こ?」  ふいに聞こえた声に振り返ると、戸口で所在なげに立ち尽くす淳の姿があった。それに気づいた希はぱっと駆けだし、彼の足にしがみつく。けれど淳はこの状況についていけずに目を白黒とさせている。 「まあ、あなたはもういい大人だし、気にしないけど。希が幸せになるなら私はそれでいいわよ」 「希はしっかり育てるよ。この関係に疑問を持つことがあれば、ちゃんと向き合う。この子を蔑ろにはしないから」 「そうね、その時は三人でちゃんと話をしなさい。……その心配はないと思うけど」 「えっ?」 「淳さん、急に訪ねてきてごめんなさいね。希が早く帰りたいって言うから。でも私はもう帰りますから、ゆっくりしていってくださいね」  一通りリビングを片付けると袋を結んで綾子は腰を上げる。そんな彼女に視線を向けられた淳は、不自然に固まっていたけれど、優しく笑みを返されて恥ずかしそうに視線を落とした。  さすがにこの状況では、バレてしまったことに気づかないほうがおかしい。 「希、ちゃんとお手紙を渡すのよ」 「はーい!」  そわそわとした気分でいる雅之と淳は視線を泳がせるが、二人をよそに綾子はさっさと帰り支度をする。そして希となにやら目配せをして、また家にいらっしゃいと言って部屋を出て行った。 「と、とりあえず座ろうか。なにか淹れる?」 「えっと、はい」  納得はしてもらえたようだが、怒濤のような展開に気持ちがまだ落ち着かない。ちらりと雅之が視線を動かせば、しっかりと淳と目が合う。その目にはどうなっているの? そう言葉が浮かんでいるように見えた。 「……一緒に寝てるとこ、見られちゃったんですね。なんだか、すみません」 「いや、さすがに不可抗力だよ。僕も家に来るとは思っていなかったし」  ぬるいホットミルクとミルクたっぷりのカフェオレ、その二つを二人に手渡すと、雅之は淳の横に腰を下ろす。ことの経緯を話すと、淳は青くなったり赤くなったりと忙しなかった。  しかし父親の時でもあれだけ驚いていたので、それも仕方ないと言える。逆に雅之のほうが申し訳ない気持ちになった。 「ごめんね。いきなり全部バレるようなことになって。さすがに希の口は塞ぎようがなくて」 「あっ、それは、それだけ希くんが素直な子だって証拠ですから」 「のぞ、いい子だよ」 「うん、うん、希はいい子だよ」  ふいに上がった自分の名前に、淳の膝の上にいた希はマグカップから顔を持ち上げる。そしてきょとんとした顔で二人を見比べた。それでもいまは彼の天真爛漫さと素直さに救われる。  よしよしと褒めるみたいに頭を撫でれば、希は至極嬉しそうに笑った。 「この子は思った以上に僕たちのことを見ていたんだな」  綾子が帰ったあと、希は手紙を書いたと自慢げに丸めた紙の筒を差し出してきた。本人は手紙と言っていたけれど、それはお絵描き用の画用紙だ。描かれていたのは拙い絵だが、ひどく胸が温かくなるものだった。  そこには『まさ、のぞ、あっくん』――そう名前が添えられていて、にこにことした笑みを浮かべているような優しい絵が描かれている。 「そういえば、なんで希くんは雅之さんのことパパって呼ばないんですか?」 「ああ、ほらよその家でもパパって呼ぶでしょ。小さい頃は名前だと思ってたみたいなんだけど。パパがいっぱいいるのがおかしいって疑問に思ったみたいで。僕の名前は雅之だよって、教えてからはずっと」 「なるほど。でもいまは理解してるんですよね?」 「なんとなくかな? 希、まさはパパだよね?」 「うんっ、まさはパパ。のぞは赤ちゃんだよ。あっくんもパパだよね!」 「雅之さん、これはどういう意味なんですかね?」  無邪気な顔で自信満々に答える希に淳が小さく首を傾げる。画用紙の絵にも二人の名前の傍にパパと書かれていた。  訝しげな顔をする恋人に雅之は思わず笑みをこぼす。その顔にますます不思議そうにされるが、テーブルの画用紙を手に取ってそれに視線を向けた。 「一緒に暮らしてる大事な人のことをパパ、ママって言うと思ってるみたいで。赤ちゃんっていうのは子供って言う意味。パパは男の人で、ママは女の人だから、僕と淳くんがパパ」 「大事な、人」 「希の中では淳くんは自分の家族なんだよ」 「家族、ですか。嬉しいです」 「淳くん。だから、これからもずっと僕たちと一緒にいてね」 「……はい、もちろんです」  涙を浮かべてはにかんだその笑顔を胸に抱き寄せると、はしゃいだような笑い声がリビングに響いた。この二つのぬくもりは雅之の幸せの象徴だ。腕に抱きしめたものは決して軽くはないけれど、彼らのためならどんな壁も乗り越えていける、そんな気持ちになれた。 一歩前ヘススム/end
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