酷いこと、したい。

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 ―――奇妙な生き物だ。  周防晴人は稲生一史を見ながら思った。  起き抜けの一史は寝癖のついたぼさぼさの頭のまま、とても正しい姿勢で今朝3杯目の白米の、その最後の一口を、丁寧に口に含んだ。主菜に添えたのは隣家に住む大家から貰ったアジの干物だった。このアパートに住んで3年になるが、初めの1年目は土産物など貰うような間柄ではなかった。記憶というのであればそもそも、大家と土産を貰うような関係にないはずだ。1年目もそれ以降も、今も。 「京都に行ったときのお土産、気に入ってもらえたみたいで」 と袋にいっぱいの干物を両手で抱えて一史は笑った。  元職場の後輩である一史がこのボロアパートで晴人を監視するようになって2年経つ。その間に一史のアパート内での人脈は晴人を超えた。気遣いと愛想の塊のような男は、毎朝自宅前とアパート前を掃き掃除する大家に挨拶し、どこの部屋だかわからない住民の名前と顔を把握し、挨拶し、向こうからも憎からず思われている。 ―――この部屋の主は一体誰なのだろう。  味噌汁を啜りながら晴人は思った。   一史がこの部屋に留まるのは晴人が「目を離すと生きることに頓着しなくなる」からだそうだ。晴人自身に、このあたりの感覚はない。腹が減れば何かしら食うし、体が臭えば風呂に入るし洗濯もする。最低限の自活能力は身についてきたように自分を評価している。  食事を終えた晴人の皿にはアジの干物を食った痕跡がしっかりと残っていた。一史の皿には骨格標本が転がっている。そういえばたまに社食や食事に連れて行ったときにもそうだったと思い出した。焼き魚や煮魚を骨格標本に出来る程キレイに食えなくては自活能力として認められないのであれば、一史の言うとおり、自分は生きることに頓着していないのだろう。どこまでをもってして頓着しているとみなされるのかは判らない。晴人は自分の分の食器をまとめて立ち上がった。 「晴人さん、今日は出るの遅いんですか。」 「ああ、まあな、」  か、の形そのままにぽやっと開いた口が立ち上がった晴人を見上げている。それはとことんまで間が抜けていてクソほどまずいといわれている飴玉を放り込んでみたくなる。 「そうですか、」  その口は頷く頭の自重と共に閉まった。ぼさぼさの頭頂部だけ晴人の目の前に見えている。それがすっと上がり、上目に見上げてくる。黒目の輪郭がはっきりしたその眸は25という一史の年齢をもっと幼いものに見せ、その割りに妙な色香を醸していた。 「泥中の蓮よねえ」  とは少し早く帰宅したときに偶然遭遇した大家の言だ。自分の所有物件を泥中と表現するのかと口に出さず考えながら、はあ、と曖昧に返事をした。一史は蓮よりも蓮根のほうが好きだし、そこに肉が挟んであれば涎をたらして見てる。ちなみに食うときは晴人の倍ほど食う。なんなら晴人の分まで食おうとする。見るより食う、典型的な花より団子の人間だ。
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