酷いこと、したい。

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 そう思っていたのだが、確かに今、肉の薄い体をしゃんと立て、天井から引っ張られるようにして真っ直ぐ座る姿と白い頬の稜線は秀雅といえなくもなかった。  手入れなどしていないはずの眉は描かれたように整い、すらりと鼻梁が通っている。頬の稜線は緩やかで下顎の明瞭な形成に一助していた。やや横幅の広い目を取り囲む睫は眦に向けて長く伸び、黒髪は跳ねが目立つのを差し引いても艶やかだ。小柄とは言いがたいがなにぶん薄いという表現がぴったり当てはまる身体は日に6合もの飯をどこに収納しているのか不思議なほどだった。  黒髪と、肌の白さがモノトーンの冷たさを醸す。輪郭のはっきりした目の強さから怜悧な印象すら受けるが、見た目と人格は対を成さないのが常らしい。 「したら、俺先に出ますけど、洗濯もんやっときます?」  ぴょっこんぴょっこん跳ね上がった髪を揺らして小首を傾ぐ。人懐こい仕草が怜悧さとは何かを忘れさせた。 「いや、俺がやるからいい。大体、お前7時半回ってるけど大丈夫か?」 「え?ちょ、マジですか。」 「マジですわ。食器今なら一緒に洗ってやるからもってこい。」  シンクに食器を置き、シャツの袖を捲ってスポンジに洗剤を垂らす。台所つきの六畳間が俄かに慌しくなり、晴人は気配を察して少し身を避けた。後から伸びてきた手がお願いしますとシンクに食器を置いた。 「わー、晴人さんいつも6時出だから余裕ぶっこいてた。これ、間に合うかな。編集会議あんだよな、編集長にねちねち言われンの嫌だな、」  ぶつぶつ言いながら一史は寝巻き代わりのスウェットを脱ぎ、洗濯機に放り込んでチェックのトランクス一枚で六畳間をうろうろする。カーテン全開だということも気にしない。無頓着なのはどちらだと思いながら最後の皿についたシャボンを流し、水切り籠に立てた。 「俺は遅出だって言っただろ。」 「いや、言ってないですよ、初めて聞きましたよ。」 「うん。だからさっき言っただろ。」  そういうことか――――!!  外まで突き抜けそうな声を上げて一史は笑った。その脇をすり抜けて押入れの襖に手をかける。 「あ。」 「あ?」  引き戸を開ける直前、笑い声が止んで一史がじっと晴人を見た。その神妙な顔に奇妙な緊張がある。 「いえ、」  すいと眸がそらされる。視点の定まらない目を追いながら内心で少し嗤った。襖の開く音に一史が耳を欹てる。その反応がわかっていて、晴人は押入れの中の一角をちらと確認し、スーツ一式を取り出してそこを閉めた。 「で、時間は大丈夫なのか、」 「あ、駄目です!駄目だ!いってきます!!」  ぶら下がったままの洗濯物からシャツを掴み、脱ぎっぱなしのジンズに足を通し終わると次の瞬間には鞄をひったくるようにして玄関を飛び出した。築40年を超えるアパートは通路を走る一史の足音に震えているようだった。
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