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額を流れる汗が、つうと目頭を伝って口の端に流れ落ちる。乾いた唇を舐めとり、しょっぱさに顔をしかめた。
「・・・水が欲しい。」
先刻から、腰に下げた竹筒が触れ合っては、カラン、コロンと虚しい音を立てている。草露で乾きを誤魔化すのも厳しくなってきた。入山の前に聞いた話では、見事な滝があるということだったのだが、一向にそんなものは現れない。そうでなくとも、雪解けのあとであるから、泉や湧き水の一つあってもいいはずなのだが。
傾斜のきつい山道は、何年も人の分け入らぬ地であるという話の通り、草花や灌木が繁茂し、何度も足を掬われそうになる。先の大雪に耐えかねた古木や竹が折れ、道を塞いでいる場所もあった。人の手が入った山道と違い、頼りになるのは、あるかなきかの道跡と狐狸の類が通る獣道のみ。正直に言えば、ここまでの悪路だとは思っていなかった。
しゃらん、しゃらんと音だけは涼やかな錫杖を行く先へ突き立て、それを手繰り寄せるように前へ進む。蔓とそれに混じった茨が、脛巾(はばき)に食い込み、絡んで、疲労した足をさらに重くする。頭上で重なり合った枝葉がつくる影は、いくらか暑さを和らげてはくれるが、薄闇を生み、足元に広がる草花を黒く見せる。長い蔓が纏わりつく様は、無数の手に追いすがられているようで、ぞわりと悪寒が走った。足元を見ないように、枝葉のこすれるさやさやとした音や穏やかな鳥の声に耳を澄ます。
しばらく進むと、日の差し込むひらけた場所が見えてきた。長いこと薄闇の中にいたためか、日の光がこいしかった。袖で汗を拭いながら先を急ぐ。
枝葉の影が薄くなり、ちらちらと錫杖を握る手に光の模様が浮かんでくる。頬や額を撫ぜ、吹き抜けていくのは、湿気を飛ばす、爽やかな風だ。視界を覆う白い光に目を瞬かせ、顔を前へ向ければ、霞みをまとった真空色に浮かぶ山々の青い稜線が見えた。眼下には、萌黄に芽吹いた常盤木と、浅い緑の葉を揺らす若竹の林が海のごとく広がっている。
どうやら、森を抜けたようだ。
「ようやっと、ここまで来たか。」
思わず感嘆の声をもらす。
おそらくここが、昔この山に登ったことのあるという法師から聞いた場所であるはずだ。山の中ほどからは、この日の当たる崖沿いの道を進むのだという。
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