ほころびをつくろうとき

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 俺の寝室にいるわけがないし、風呂場から水の音はしない。トイレの電気も消えている。二階に上り、理恵子の寝室の前に立つ。激しい咳が聞こえてきた。そういえば、寝室を別にした直接の原因は、俺のアレルギーによるクシャミが原因だったと思い出す。共働きのときは、理恵子のほうが寝る時間が遅かった。会社から帰ってくるのは彼女のほうが早かったが、家事やらなにやらで、いつも俺の方が早く布団の中に入っていた。アレルギーの発作が起こると、クシャミが止まらなくなる俺は、その日もクシャミを連発していた。キッチンで皿洗いをしていた理恵子が、怒ったように大きな足音をたてて、寝室の前で立ち止まった。「うるさい」とばかりに襖をぴしゃりと閉めた。それを寂しいと思った俺は、子供っぽかったのかもしれない。鼾もうるさくて眠れないと言われて、じゃあ寝室を別々にしようと提案した。すでに夫婦関係はなくなっていたから、それでも構わないと思っ た。  咳はいつまでたっても止まらない。少し心配になって、俺は部屋のドアをノックした。が、応えはない。 「大丈夫か」  俺はドアを開けた。変な胸騒ぎがしたからだ。  ベッドの上で理恵子は寝ていた。うつ伏せになって、口に手を当てて咳をしていた。 「おい、大丈夫か」  理恵子の顔色が悪かった。長い髪の毛は、輪ゴムで一本に縛ってある。化粧をしていない顔は青ざめていて、いつもより老けて見える。 「あ、たっくん」  彼女の顔がぱっと明るくなった気がして、俺は目を逸らした。知らない女と対面している気がして、落ち着かない。 「咳が酷いみたいだけど、大丈夫なのか。病院には?」 「――行ってるよ。でも簡単には治らないかも。ね、今日は沙希が夕飯を作ってくれるんだって。楽しみだね」  理恵子がベッドから体を起こした。気怠そうに、前髪を掻き上げた。 「手を貸してもらえる?」  手を貸せ? 自分では立ち上がれないのだろうか。おかしい頼み事だと思った。 「大丈夫なのか?」  手を差し伸べると、理恵子はふっと笑って、右手を重ねてきた。一週間前よりほっそりした気がして、さっきから続いている胸騒ぎが大きくなった。     
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