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たっくん? 俺のことか? たしかに俺は拓也だが。久しくそんな風に呼ばれていないから、ピンと来ない。沙希が小学校に上がる前まではそう呼ばれていた。いつの間にか、おとうさん、おかあさんと呼び合うようになり、夫婦仲が悪くなってからは、俺の呼び名は消滅した。ねえ、か、ちょっと。声のトーンが低いときは俺に話しかけたとき、と判断することもある。
「ビールも冷やしておいてるから。あ、もう寒いもんね。日本酒、温めようか?」
少し引き攣ってはいるものの、口角を上げて話す配偶者の顔はいつもより若々しく見えた。
今日はやけに機嫌が良い。配偶者の笑顔を見たのは何年ぶりだろう。
こいつが専業主婦になってそろそろ一週間が経つ。俺に媚びでも売るつもりなんだろうか。自由に使える金が手に入らないと気が付いたとたん、自分の身の程を知ったとか? そうだよな。小さい子供がいるわけでもなく、妊娠中でもない専業主婦に、存在意義なんてない。せいぜい家事に精を出すしかないのだろう。
配偶者は突然、二十年以上続けた会社を辞めた。俺には相談してこなかった。「明日辞表を出すから」と、辞める前日に言ってきた。勝手にすれば? 俺が反対しても出すんでしょ? 頭に来て、思ったままを口にすると、配偶者は一瞬だけ、傷ついたように顔を強張らせた。
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