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本当にここはいつもの我が家か? パラレルワールドにでも迷い込んだみたいだ。優しい妻? 懐いてくる娘? 昨日までのふたりと真逆じゃないか。
「はい、サバの味噌煮と、揚げ出し豆腐と、ほうれん草の胡麻和え」
配偶者がわざと一品ずつ持ってくる。どれも俺の好物だった。嬉しいというより、怖い。なにか企んでいるんじゃないのか。ふたりで結託して。
「食べ終わったら、流しに置いておいてね。明日の朝、私が洗うから」
また笑いかけられる。さっきよりは自然な笑みだ。ああ、そうか。今は目を細めているからだ。目じりの皺が目立つ。
「お湯張ってあるから、追い炊きしてね。じゃあお休み」
お休み、ぐらいは返すべきなんだろうか。さっきから俺は、配偶者に対して一言も発していない。口を開けたものの、声が出ない。この数年、挨拶さえしてこなかった。していなかったことを、いきなりするのは、難しい。体がついてこない。配偶者は俺の無言を気にした様子もなく、階段のある方向に歩いていく。ずいぶん前に、寝室を別々にした。俺の寝室は一階の隅の部屋。配偶者の寝室は二階で、娘の部屋の隣だ。配偶者とはもう何年も夫婦生活がない。離婚の話は出たことがないが、お互い離婚したいと思っている。俺も配偶者もそれを態度に表していた。――昨日までは。
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