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桜の枝はとても大きく、立派なものでした。
花もまずまず咲いていてとても豪華です。
これならきっと喜んでくれる。私はひとまずほっとしました。
出勤の日。
私は桜の大枝を背後に隠し、久子おばあちゃんがいる個室の前まで何とか運んだのです。
本来、散る花は病院には不向きとされています。
散るなんて死を連想させて縁起が悪いからです。
私の勝手でこの花を運び込んだことがばれたら、師長さんにはきっと怒られるかもしれません。けれども、久子おばあちゃんの最後の願いをどうしても叶えてあげたかったのです。
「失礼します」
とりあえず、桜は廊下に置いたまま、私は病室に入りました。
「あらあら、看護婦さん」
いつものようにベッドで座るおばあちゃんの横には、おじいちゃんが。
「こんにちは、失礼します。あの……」
「ねえ、看護婦さん、ちょっと聞いてよ。いやね、困った人なのおじいちゃんて」
久子おばあちゃんは言いました。困ったと言う割にとても愉快そう……いや、嬉しそうに。
ベットサイドではおじいちゃんが恥ずかしそうに目を逸らし、もじもじした様子で座っています。おじいちゃんはいつも無口で余計なことは言わない人です。
「見てよ、これ」
おばあちゃんが大笑いしながら、窓辺の花瓶を指さしました。
そこには……茶色の細い枝が一本 。
枯れ枝のようにも見えるただの短い枝が、不格好に大きな花瓶に生けられていました。
「桜が見たいって言ったらね、おじいちゃんたら庭の桜の枝を折ってきちゃったのよ。いやね、花もつけていないのに」
そうおかしそうに笑う久子おばあちゃんに、おじいちゃんはいよいよバツが悪そうな顔で俯きました。それを見ておばあちゃんはまたひと際大きな声で笑いました。
最近衰弱が激しいおばあちゃんからはなかなか聞かれなかった、張りのある大きな笑い声です。
私はもう一度桜の枝をながめた後、
「素敵ですね」
私はおじいちゃんとおばあちゃんの二人を見つめて言いました。けれども、おばあちゃんは「ただの枝がなにが素敵だっていうのよ」と、また大声で笑うだけでした。
私はおばあちゃんの検温だけして、病室を後にしました。
廊下の隅に隠していた満開の河津桜は、そのまま自分のロッカーに持ち帰りました。
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