タイムラグ

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 タイムマシンは、機械仕掛けの棺に見えた。 外観だけならサウナマシンと言い表した方が分かりやすいかも知れない。だが病院内にしか設置されていないことや、過去を変えるという機能そのものが死を連想させる。側面にあるボタンを押すと機械的な音を立てて蓋が開いた。中には装着するのであろういくつかの装置の他に、タイムマシンの使用手順が書かれた冊子が置いてあった。  ここに入れば、新しい自分として生きることが出来る。 何度も自分に言い聞かせてきたその言葉を、もう一度声に出して確認する。そして大きく息を吐くと、冊子に手を伸ばした。  それまで頭に思い浮かべていたのは、高校2年生のとき同じクラスだったある少女のことだった。今回タイムマシンを使うのも、彼女への告白をやり直すためだ。  だが冊子に手を触れた瞬間、別の顔が脳裏をよぎった。現在の妻、チサだ。高校で出会い、定年退職した今年まで共に過ごしてきた。頭を振り、すぐ意識から締め出そうとした。しかし長い間共に過ごした記憶は、そう簡単には追い払えないものらしい。  こういった場合、大抵は忘れようとするほど強く存在を主張してくるものだ。僕はやり方を変えて、いっそ今朝の記憶を出来る限り思い出すことにした。  僕が目を覚ましたのは6時前だった。隣のベッドに彼女はいない。寝室は2階にあり、階段を降りることから1日が始まる。体重の移動を意識して段差を降りていく。この作業一つとっても、老いを実感せずにはいられない。1階に近付くにつれて、包丁で何かを切る音と、出来立てのコーヒーの香りがやってくる。ドアを開けると、奥のキッチンで料理を作っているチサがいる。 「おはよう」 顔を上げずに彼女が言う。僕は適当に返事をし、ニュースにチャンネルを合わせながら椅子に座った。 「定年で仕事も無くなったのに、いつもの時間になると起きちゃうんだよね。必要無い習慣なのに」 チサは僕の目の前にコーヒーを置いた。 「いつもの時間になったから淹れたけど、もう退職したし必要なかったかしら」 テレビから目を離し、彼女の顔を見た。目元は黒い髪に隠れて見えない。だが唇の中央に力が込められ、口角が少しだけ緩んでいるのは分かった。数十年暮らしてようやく見抜けるようになった彼女の癖だ。どうやら今日は機嫌がいいらしい。
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