神の六畳間

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 私はリンゴを手に取って、無造作に空中に放った。するとそれは船に形を変えて浮いた。大きさはティッシュの箱ぐらいで、頼りなく揺れながら、六畳の部屋の上空を漂った。色は赤だった。私の思惑に反して、固いという性質より、赤いという性質が残る結果となってしまったが、悔やむまい。船の中には人がいた。髭を生やしたおじさんがいた。帽子をかぶっていた。帽子は大きくて、赤ん坊のおしゃぶりのように膨らんでいた。おじさんは帽子をかぶった頭を支えることと、船の揺れに耐えることに精いっぱいで、いつまでもまっすぐ立っていることができないのだった。右に左に、前に後ろに、よたよたと動き回っていた。そんな様子で舵を取ることなど論外だった。船は沈まないと思えた。沈んでも畳の上に落ちるだろう。私にとってなじみ深いこの色あせた畳は、おじさんにとっての新天地になりえた。おじさんは、リンゴであったとき、リンゴのどの部分だったのだろう、と思ってまじまじと見つめると、髭が茶色かったので、きっと種だろうと合点した。おじさんは笑って私に手を振ろうとしたが、船が大きく揺れたのでできなかった。こうして船に乗っている限り、おじさんは自分の意志で何もすることができないまま、大きな頭を抱えて、死ぬまでじたばたするだけなのかもしれなかった。私は船を叩き落とすことができただろうが、それはしなかった。そもそも、リンゴが船になるとは思っていなかった。まして空を飛ぶなどとは夢にも思っていなかった。結果的に私はそれを創造したのかもしれないが、だからといって壊していい理由にはならなかった。おじさんの人生は、風にゆだねるべきだ。こうして、リンゴは船へ姿を変えるという形で処理された。
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