0人が本棚に入れています
本棚に追加
なあ、あんた。
ひしゃげた男の声に私は思わず足を止めた。声のした方にはホームレスだろうか、髭面の男が桜の木の下に座り込んでいた。鮮やかに咲き誇る薄桃の桜と男が纏うぼろぼろの服はアンバランスで、思わず目を引かれてしまう。
「なあ、あんた。なにやってんだ」
男が話しかけたのは、どうやら私ではないらしい。太い幹に寄りかかって男が仰ぐように後ろを見ていた。
幹越しの誰かに向かって、男は独り言ちる。
「俺の人生は最悪だ。希望なんてありゃしねぇ、ドブみてぇなもんだ。この桜も、綺麗ってことは分かんのに、俺は全然綺麗だとは思えねぇよ。なあ、あんた」
男はそこで言葉を切った。俯いて言葉を発しなくなると、今度は幹の向こう側から声が聞こえた。
「何を仰るかと思えば、とんだ戯言ですね」
馬鹿にした声色は、若い男の声だった。何もかもを透き通るような、印象深い声だ。
「全て冗談にしか聞こえませんが、もうエイプリルフールは終わりましたよ? こちらはもう、覚悟を決めているんですよ」
「なんだと?」
男は苛立ちを隠しもせず立ち上がった。
「あんたに何がわかるってんだ! 俺はもう、駄目になっちまったんだよ!」
「気持ちだけはお察ししますよ。それとも、あなたも殺されたいとでも」
物騒な言葉が聞こえて、私は思わず息をのんだ。
幹の向こうにいる人は、一体何を言っているのだろう。言い方からして、まさか、人殺し? けれどそんな人種に、こうも簡単に遭遇するだろうか。
冗談であることを願いつつ、二人を見守る。
剣呑とした静寂を破ったのは、再度座り込んだ男だった。
「……できるのなら、死にてぇよ」
悲鳴のような言葉だった。片手で顔を覆い隠した男を見るだけで、私はなぜか不安に駆られる。
その言葉を聞いた幹の向こうの人物は、少し離れた私にも聞こえる深いため息をついた。
「そうやって死体となって……埋まる気ですか、ここに」
最初のコメントを投稿しよう!