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第一話 戦場
『準備はいい?』
バイザーに内蔵されたインカム越しに感じる、冷徹な意思。
その声に呼応するかのように、身体チェック機構が起動。視野内に、いくつもの数値が並ぶ。
視覚、チェック——OK。
聴覚、チェック——OK。
その他身体制御、問題なし。
「全装備、身体機能問題なし」
『了解』
高度一万メートル。
作戦対象の索敵網を避けるため、高高度で旋回する大型の航空機、クラウド。建前は人道支援を目的とした輸送機だが、実態は大きく異なる。
数分で半径数キロの範囲を制圧可能な打撃力を有した、いわば空飛ぶ強襲揚陸艦だ。
その巨躯の最後尾に、私はいる。
正確には、船外固定具に括り付けられた、地上投下用の射出カプセルの中だ。
『射出準備完了——カウントダウンスタート……五、四、三、二……投下!』
瞬間的に生物学を無視したGがかかり、地上に向け降下。後は成すべき事をなすだけだ。
私は戦闘用のAI、つまり兵器だ。運用上、外見を人間に似せて作ってあるが、その必要性に疑問がある。運用コストやメンテナンス、搬送面での利便性。それらと兵器としての性能は同義ではない。
人格が女性となっているが、これも必要性を感じない。設計上の都合で、体型、表面形状が女性型になったに過ぎず、人格をそれに合わせる必要はないはずだ。
『識別コードA0221。機体名アヤ。状況を報告』
うるさいな。
決まり事とはいえ、せめて作戦開始までの僅かな時間くらい放っておいて欲しいものだ。
規定の高度に到達。
カプセルの外装を点火ボルトで吹き飛ばし、両手両足を広げて宙に身を躍らせる。
「射出カプセルの外装パージ。状態正常。水平維持。着地点に向け降下中」
『了解、アヤ』
私は、厳密には『戦闘用』の試作機という位置づけだ。戦闘行動のデータ収集や、行動に伴う四肢にかかる負荷データの蓄積も重要な任務だ。
そのためなのかは知らないが、余分な機能が搭載されてる。
柔らかく弾力性のある表皮で、熱源、気温、風力、湿度など、周囲の状況を知覚し、複合視覚で敵を追う。音響センサは、雑然とした戦場において、特定周波数を選別可能な性能を持つ。呼吸機能も実装されているが、主に音声出力と冷却機構のためだ。
外見の特徴として、私の髪は白く長い。目的は廃熱だ。最大出力時の廃熱処理は、呼吸処理だけでは追いつかない。
その他データライブラリも、膨大な量をインストールされている。
美術的な知識や文学など、一体何に使うのか。人間とはかくも非合理的な生物だ。戦闘用の人形に、美的感覚を求める意味が理解出来ない。
おっと。
降下ポイント上空に到達。外部センサをフル稼働させ、状況を把握。高度、風向、気温に問題なし。
「アヤよりクラウドへ。降下ポイントに到着。これより作戦行動に入る。以後通信を遮断する」
『クラウド、了解。幸運を祈る』
──一体何に祈るんだ?
返ってきた女性オペレータの言葉に疑問を感じつつ、パラシュートを展開させた。
*
──地表まで二〇メートル。
パラシュート、切り離し。
重力に引かれ、落下速度が一気に増大。大地に脚部が触れる。ショックアブソーバの負荷最大。着陸の衝撃で、大地の破片が周囲を舞った。
落下地点付近にいた人間たちは、その突然の出来事に一瞬動きを止め、視線を私に向けた。
私は見かけ上、一七、八歳の女性なのだそうだが、果たして戦場の最前線で戦闘行為を繰り広げる人間の目には、どのように映っているのだろうか。
「武力介入を開始する」
私は誰に向けるでもなく宣言し、全武装を解放した。
前腕部に装着されている漆黒のブレードが展開され、一瞬赫色に染まった。落下中の大気抵抗で発生した熱を放出するためだ。次いで、腰の左右のホルダから中型のナイフを抜き、両手で構える。
──戦闘開始。
おかしなもので、戦闘用AIでしかない私は、この瞬間に高揚感を感じる。プログラムがそうさせるのか、試作機ゆえの余剰機能がそうさせるのかは分からない。エンジニアの連中も、私の戦闘記録を追い、解析したが、お手上げだと言っていた。
だが、そんなことは些末な事だ。結果として、高揚感とやらが運動性能を引き上げてくれるのなら問題ない。
今回私に課せられたミッションは、着陸ポイントから半径二キロ以内の全兵力の無効化だ。この場合の全兵力とは、政府軍、反政府軍の区別はない。私かそれ以外か。その区別しかない。
私はまず、目の前でアサルトライフルを構えたまま立ち竦んでいた兵士をターゲットに定めた。
大地を蹴る。
瞬時に間合いを詰め、腕ごと銃を斬り飛ばす。数瞬後、その男の血煙と共に悲鳴が上がった。
人間は脆い。力もない。アーマースーツを着込めば、動きが鈍くなる。いくら補助動力に頼った所で、私のスピードに付いてこられない。いかに高度な武装を施した所で、所詮人間であり、生物の限界は超えられない。
私は戦況を見定めつつ、乱戦の中を高速で駆け抜けた。
身を低くして銃弾をかいくぐり、対象のゼロ距離まで近接。その勢いで、その兵士の腕を武器ごと斬り飛ばし、即座にその後ろに回り込む。目の前にはライフルを構えたままの別の兵士。私は右足のブレードを展開し、ライフルを蹴り上げて銃口を逸らす。銃弾が見当違いの方向に発射されたのを確認し、手にしたナイフを彼の足に突き刺した。
その悲鳴を背に、次の目標に向け疾走。
目の前には、銃口を私に向けた兵士。彼我の距離は十メートル。彼が政府軍なのか、反政府軍なのかは最早意味はない。この男が発砲すれば、私の後ろにいる兵士に銃弾が当たる。致命傷になる可能性が高いと判断。
咄嗟に腰から小型のナイフを抜き、その兵士に向かって投げつける。ナイフは彼の大腿部に突き刺さり、銃口がぶれた。
乾いた破裂音。
その弾道は、予測通り私の頬をかすめ、後ろの兵士の頭上を通過。兵士が苦痛の声をあげる間を与えず、近接。右腕ブレードでライフルを粉砕。
一瞬だが、視界が開ける。
——残り二十三。
立ち塞がる兵士たちを、最小限の動きで封じ、武力を削ぐ。
放熱機能を持つ白く長い髪が、返り血と排熱で赤く染まる。
「サウザンドナイブズだ!」
誰が叫んだのかは分からない。特定する必要もない。
戦場において、いくつものナイフ、ブレードを駆使することから、私に付けられた俗称だ。『千のナイフ使い』とは言い得て妙だ。
そんな事より、今対処すべきなのは、私に向けられた死神たちだ。
──私に銃口を向けたな?
最早彼らに敵、味方の概念はない。私を倒さなければ、自分たちが倒される。既に戦場の目的は、私を倒すことに置き換わっていた。
私はこの圧倒的に不利な状況を、後五分以内に覆さねばならない。
私が機械である以上、動力源は無限ではない。
求められるのは、高度で正確な判断とそれを実行可能な身体能力、加えて数多の戦場で蓄積された、経験値だ。
センサ、身体機能の出力の全てを、限界まで引きあげる。白い髪が廃熱で真紅に染まる。
一つ一つの弾丸をロックオンし、手に持つナイフと腕部、脚部のブレードで、そのことごとくを弾き、躱し、最も近い距離に立ち竦んでいた一人の兵士の懐に潜り込み、喉元にナイフを突きつけた。
「ライフルを棄てろ」
数瞬の間があった。AIである私にとって、ほぼ永遠に等しい時間だ。
──遅い!
人間の迷いなど、待っていられない。次のターゲットを捕捉。行動予測。突進経路を算出。
だがその兵士は、ライフルを棄てなかった。
──くそ。
私は右手に持つナイフの、超高振動機能を発動させた。
ナイフの表面が淡い燐光を放つ。
そして一閃。
鋼鉄のライフルを、真っ二つに切り裂いた。
これで、この兵士の武装は無力化した。サブウェポンのハンドガン等は、無視出来る脅威だ。
──次。残り十八。
だが、その兵士の取った行動は、私の想定外だった。
「共に死ねぇっ!」
突如、背後から羽交い締めにされ、私の動きが封じされた。瞬時にアイボールセンサが、兵士の手をフォーカス。その手には、ピンを抜かれ、レバーも離された手榴弾が握られていた。
──くっ!
両腕の反射機構が緊急事態と判断し、最大出力で兵士の腕を振り払う。
だが遅かった。
その兵士の手首を斬り飛ばすのと、手榴弾の爆発はほぼ同時だった。
大きな衝撃と共に、右視界がブラックアウト。視野内に、ノイズ混じりのアラートマークが幾重も表示される。右視界損傷、その他の被害は軽微。運動系統に問題なし。
右視界が奪われたが、私の性能的には問題ない。対象を立体視出来るか出来ないかの違いでしかない。彼我との距離は音響センサで割り出せる。
その兵士も、無傷で済まなかったようだ。片腕を吹き飛ばされ、右側顔面の裂傷も深い。出血の量、身体へのダメージから判断。彼はきっと助からない。もって数十秒か。
──まずいな。
私は、身体制御に、ある制限が課せらている。
それは、人間を殺さないこと。
私の行動は、あくまで『武力の無効化』であり『殺戮』ではない。
ナイフを使いはするが、目標が保有する兵装の破壊や、銃弾を避けること、そして相手への威嚇が主な目的だ。人体に、致命傷を負わせるための装備ではない。
当初、銃器も標準兵装に含めるべきとの声があったそうだが、規模の大小にかかわらず、戦場での銃火器の使用は、目標への致命傷を避けることが難しい。
重要視されたのは、視覚効果による心理的な威圧だ。戦場を、人間を遙かに凌駕するスピードで疾走し、致命傷を与えず、武力を無効化する、脅威だ。
それが『私』だ。
武力に武力を以て臨み、制圧する。被害を最小限に抑え、速やかに状況を沈静化する。
決して、『その場』における『兵力』を殲滅することが目的ではない。
それが、クレイドルの行動理念らしい。
私が人間を殺さないことによって成立する、戦場における『抑止力』という概念。千のナイフ使いの名と共に戦場に降り立つ私は、その『抑止力』を体現するモノだ。その戦場は数刻を待たずに崩壊し、勝敗は決しない。そのための武力介入であり、私がそこにいる理由なのだ。
だが今、その概念が崩れようとしている。
原因は何だ?
私の判断が遅かった?
何かが決断の邪魔をした?
──いや。
私は最小限の動きで、最善の行動を取った。
それが人的要因の影響を受け、正しい結果にならなかっただけだ。
「……貴様でも怪我をするのか……」
呻くような声。
私は我に返った。通常ならこんな隙は作らない。今、なぜ私は行動を止めた?
──……。空白二秒か。
戦場において、わずかな隙は致命的だ。それが秒単位なら尚更だ。
周辺に、熱源及び動体反応を多数感知。私に向かってくる弾頭は、処理能力の限界を超えていた。これを全て避ける術はない。
「……これで……仇が討てた」
——仇?
私が残された目でその男にフォーカスした時、多数の脅威が私のボディに衝突した。
左腕損傷——攻撃力四十パーセント低下。
右脚損壊——移動能力八十パーセント低下。
視界内は、ありとあらゆる警告で埋め尽くされた。
時が止まったかのように、ひどくゆっくりと地面が迫る。
その間も、私は男から視線を外さない。この男の目に宿る『力』のようなものは何だろうか。辛うじて機能していた音響センサが、かすかな男の音声を拾った。
「……これで俺も……お前の所に……」
──ああ……そういうことか。
私は人間を殺せない。制限事項だからだ。作戦上も、その行為は織り込まれていない。
その上で、男が私を仇と言うのなら、思い当たる節がある。
先月、後継機の実証実験中に発生した暴走事故だ。
実験は、今日と同じようなシチュエーションで行われた。つまり半径二キロ以内の武力の無効化だ。
ところが、突如暴走した『彼女』は、感知可能な全ての動体反応が消えるまで、戦闘員、非戦闘員問わず、目標が完全に活動停止──つまり死亡するまで、その手を止めなかった。不幸な事に、作戦範囲外に居合わせた民間人にも被害が及んだ。憶測ではあるが、この男の関係者か、親近者が、そこにいたのかも知れない。
さらに後継機は、実験データ採取のために着陸していたクラウドまでも標的にした。
やむなく、私が破壊命令を受け、実行した。
そこに至った経緯、状況、原因は、全て封印された。真相は知らされていない。
ブラックアウトしつつある視界の端に、男の手からこぼれ落ちた金色の物体が映った。
小さな楕円形の物体は、転がっていた岩にぶつかり、涼やかな金属音と共に二つに開いた。何かを収納しているのだろうか? 疑問を満たすべく、私の余剰機能により画像認識され、ロケットという写真などを収納する、人間が持つアクセサリだと判明した。
そのロケットには、女性の写真がはめ込まれていた。
先に暴走した後継機──彼女の外見は、私と同じだった。
このロケットにはめ込まれている写真の女性は、彼女に破壊されたのだろう──サウザンドナイブズに。つまり『仇』に。そして『私』に。
『識別コードA0221。機体名アヤ。機体損壊。行動不能。主動力源喪失。──シャットダウン』
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