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第二話 変化
「識別コードA0221。機体名『アヤ』。聞こえるか」
男の声がした。
その声は低く、やけに響く。センサの感度が、平常時の半分も出ていないというのに。
——苛つく声だ。
状況把握のため、身体状況を走査を実行。
四肢からの感触がない。
私の意思で作動するのは、左側の眼球だけのようだ。先の戦闘で負ったダメージは、思っていたより深刻らしい。内部構造の四十五パーセントが認識不能だ。
狭い視覚と平衡感覚の信号から判断するに、手足を接合部から外され、上半身のみの状態で、メンテナンス・ベッドに固定されているらしい。
表皮や、大部分のセンサからの感覚がないので、どうにも落ち着かない。まるで宙に浮いているようだ。
「ああ、聞こえている。ここはどこだ?」
私は視界の端に映る、長身で痩せ細ったスーツ姿の男に語りかけた。名前があったはずだが、記憶の奥深くに記録されてるのか、すぐに思い出せない。それに今は、メモリ内を検索する気もない。優先度が低いからだ。
「クレイドルの本部だ」
——ああ。そうか。
回収されたのか。
私は先の戦闘で致命的なダメージを負い、その場で機能停止した。
その後は記録が残っていないため不明だ。しかし、破壊されずにここにいるということは、クラウドとこの男が、何らかの手を打ったということだ。
推測される最も可能性の高い手段は、私と一緒に搭載されていた、決戦用制圧兵器、『ガーディアン』の投入だろう。
つまり、あの戦場は壊滅したわけだ。
「処理したのか?」
「ああそうだ。我々は、理念を守るための手段は選ばない」
あの日あの時、その場に居合わせた兵士たちは、本当の恐怖を知っただろう。
殺戮兵器そのものが投入されたからだ。
何の思考も思想もなく、与えられた命令に従い目標を破壊する、死を運ぶ兵器『ガーディアン』。奴らの視界に映る人間は、ただの熱源でしかない。
「いいのか? クレイドルはこれで武力介入の意義を失った。今後の活動に支障が出るのではないか?」
「問題ない。あの日あの場所で戦闘行為はなかった。言ったろう? 理念を守るための手段は選ばないと」
男の口から出たその言葉は、硬質で事務的だった。
私がいた戦場。
そこは私が『失敗したこと』により、『なかったこと』にされた。
あの日あの場所で、戦闘行為はなかった。
誰もいなかったのだ。
「間もなく新しいボディが届く。それまで休め」
私は耳を疑い、嘲笑った。
「AIに休めだと?」
「冗談だ。気にするな」
男はそう言い残し、部屋を去った。
照明が落ち、闇と静寂が訪れた。
光学センサの感度を上げれば、先ほどの光景と同等の視野が確保出来る。
ソナーを使えば、部屋にある物体の位置や形状、彼我の距離を検知出来る。
私には、その能力がある。
利用するのに、いちいち理由が必要なだけだ。
——面倒だ。
そう。私は面倒なのだ。
自分も、自分が属している欺瞞に満ちた組織も、面倒だ。理解出来ない、と言い換えても良い。
いざとなれば、戦闘行為自体をなかったことに出来る影響力を持ちながら、戦争の芽を摘み取るクレイドル。
なぜ、『人を殺せない』という機能制限で縛られている私を、前線に投入するのか。
なぜ、圧倒的な攻撃力で戦場を制圧出来る『ガーディアン』を保有するのか。
クレイドルは、この矛盾を抱えたまま、一体どこへ行こうとしているのだろうか。
政治的で高度な判断なのか、自己顕示欲の大きい上層部のバカバカしい判断なのか。
——あるいは両方か。
先にあるのが何なのか、私には予測出来ない。そもそも権限がないし、興味もない。地政学やら政治家同士の駆け引きなど、私には関係のない事だ。
退屈という概念はないが、無意味な時間に身を委ねるのは、無駄だ。合理的ではない。
いっそ休止状態に移行すれば良いのだろうが、体機能の大半が言う事を聞かない今、どんな不具合が出るか不明だ。そんなリスクはご免だ。
いくつか部屋に設置されていた、計測装置のモニタの一つが点灯した。
光学センサを広角モードに切り替え、その光を拾う。
歪んだ画像になるが、部屋全体が見える。作業台と思しきスチール製のテーブルには、私のボディの残骸が無造作に積まれてあった。腕、足、胴体の一部、そして——あの兵士が持っていた金色のロケット。
私は、部屋のロック・システムをハッキングし、照明を点けた。
──なぜだ? なぜあのロケットがここにある?
このロケットは私のパーツではない。回収する必要はなかったはずだ。
開いたままのロケットには、微笑みかける女性の写真がはめ込んである。
私は動かせないはずの首を動かした。
どうやって動かしたのか、自分でも分からない。
ただ。
ただ見たかったのだ。広角で歪んだ画像ではなく、真正面からフォーカスした女性の写真を。
最大望遠で、女性の画像を捉える。
彼女はここにいない誰かに向け、微笑みかけていた。
人間はどんな状況下で、このような表情を浮かべるのだろうか。
柔らかい、優しい、嬉しい、暖かい。
言葉では知っているが、私にはこれらの状況を実感出来ない。
記憶から、あの時の男の表情を引き出す。
奇妙なことに、死に逝く寸前だったはずの男の表情と、ロケットの写真には類似性を感じられた。数値ではなく、感覚として。
血縁関係等による遺伝、顔や形といった形状的なものではなく、画像としての印象に類似性がある。
——印象?
私は心の中で嗤った。
私はAIだ。
AIなのに、曖昧な思考をしている。
イエスかノーで言うなら、二つの画像は形状の類似性に留まる。
だがそれ以外の何かが似ている。
死に別れた、一兵卒と女性。
彼らの関係性は何だろうか?
夫婦?
恋人?
あるいは家族?
——何だろう?
繰り返される問答。答えの出ない疑問。
その時だった。
——何だ?
私が持つ、七つのサブAIの一つが悲鳴を上げた。
積層演算装置内部の温度が、限界まで上昇している。熱暴走寸前だ。
理由は不明。
異常熱源を感知した部屋のセンサが反応し、アラートが鳴り響いた。
『緊急警報。緊急警報。許容範囲外の熱源を感知しました。一分後に消化剤が散布されます。一分後に室内気圧がゼロになります。室外への退去を推奨します。繰り返します——』
「何事だ!」
数名の武装した人間が、部屋に駆け込んできた。耐衝撃、防弾仕様のアーマースーツを着込んでいる。私が暴走した際の対策のつもりだろうか。そもそも自分たちの施設内だというのに、念の入った事だ。
その後ろから、先ほどの痩身の男が、血相を変えて駆け込んできた。
ああ。思い出した。アシュラムという、空中母艦『クラウド』の船長だ。
「アヤ! これはどういうことだ!」
警告で埋め尽くされたモニタを一瞥し、アシュラムはネクタイを緩めながらそう言った。
その時。
銀色のロケットが、アシュラムの胸元から飛び出した。
——アシュラムが同じものを?
私の視線に気づいたのか、アシュラムは慌ててロケットを胸元にしまい込んだ。
動揺している。表面温度の微妙な変化。滴る汗の成分分析。表情の微細な変化。
私が知る、アシュラムの行動パターンに合致するものがない。
——その感情の変化は何だ? 何を焦っている?
「くそっ! 緊急手段を止めろ! 冷却機構の出力最大! これでは部屋も我々ももたん!」
室温は摂氏五十四度。人間には耐えがたい温度だろう。メンテナンス・ルームの精密機器も、監視システムの警告を受け、自ら緊急停止している。
「アヤ! A0221! 説明しろ! この状況はなんだ!」
アシュラムは、この収束の兆しが見えない状況下で、この部屋で発生した現象を私に説明しろと言う。
無理な注文だ。
私自身が原因を解析・特定出来ない事象を、説明出来るはずがない。
「私には説明出来ない」
「なぜだ? お前のサブAIの急激な温度上昇は、俺が部屋を出て数分の間で起きたことだ。その間、誰もこの部屋への入退出の記録にない。状況を知るのはお前だけだ」
理に適った糾弾だが、私が知るのはサブAIの突然の暴走という結果だけだ。
「……理由は不明だ。サブAIの一つが無限ループに陥り、処理速度の限界を突破した。そこまではログが残っている。後は好きに解析するといい」
「解析しろだと?」
アシュラムが歯噛みし、私を睨み付ける。
「設計上、お前が 統括管理するサブAIだぞ? なぜ七つあるサブAIのうちの一つだけが暴走する? そんな事はあり得ない。負荷分散を意図的に止めない限り、いや、それでもこの状況は異常だ」
私は、熱くまくし立てるアシュラムを見ながら、冷静に状況を分析した。
私の頭部ユニットに収まっている七つのサブAIは、外部から入力される情報の初期処理を担っている。
暴走したのは、嫉妬、悲しみ、寂しさ、孤独などの負の感情の初期処理をするためのサブAIの一つだ。
このサブAIが暴走する寸前、私はロケットに嵌め込まれた写真を見ていた。
柔らかい、優しい、嬉しい、暖かい。そんな言葉の羅列。私にとってはただの記号でしかない、人間が持つ 感情。
あの時、私の目の前で事切れた兵士の目。そこには、一体どんな感情が宿っていたのだろうか?
悲しみ? いや——安堵か?
そんな印象を、曖昧に処理した結果なのか?
アシュラムは、私に接続された数台の端末に表示されている、様々な数値やグラフを一瞥した。
「……アヤ。お前は、七つのサブAIを持つ、新機軸のAIコアを実装した試作機だ。お前の後継機との差は、そこにある。その意味は分かるな?」
「ああ。つまり、何らかの外部入力を、処理しきれなくなった可能性がある。そう言いたいのだろう?」
「そうだ。しかしそれは、あくまで可能性だ。設計上は、AIコアを中心にサブAIが連携しているはずだ。未知の現象が起きたとした言いようがない」
「私もその意見に同意する」
「お前を開発したヤツに問い質したいが……くそっ!」
アシュラムは右手で胸元を鷲掴みし、もう一方の拳で乱暴にコンソールを叩いた。
だがそれは、無理な要求だ。
AIコア及び周辺回路、サブAIの設計と開発に携わった人物は、既にこの世にいない。
自殺したのだ。
人間は脆弱だ。その人物が何を思い、何に至って、命を断ったのかは分からない。
私の初期段階の仕様書、設計書は残っているが、私に実装されているAIアーキテクチャは、何重もの防壁に守られ、ブラックボックスと化している。後継機は、『私』という『試作機』をベースに開発をスタートしたが、 解析不能な部分をソフトウェアで模倣し、第二世代のAIコアに実装以外、方法がなかったと聞く。
工業的として、容易に複製出来ない 個体など、整備や運用コストが肥大化するだけだ。
結果、余計な仕組みを持たない 後継機は、量産に向いていた。
性能的には劣るだろうが、余剰機能を持たない分、運動性能は向上するだろう。その上、機能制限ユニットを組み込むのが容易だ。構造が単純になれば、格段に整備性も高まる。
私にもリミッタは実装されているが、ブラックボックスのせいで、完全には機能していない。
「──お前の『後継機』の実験データ。お前が破壊するまでの間も、正常値を示していた。ならば、なぜ 暴走した?」
アシュラムは、矛先を先日の『彼女』の暴走事故の件に向けた。
「私は『彼女』ではない。その質問には答えられない」
「機能制御ユニットは正常だったんだ!」
怒鳴り声と共に、アシュラムは壁を拳で殴った。
「アレは 機能制限を無視して暴走した。どうやって迂回した? リミッタは運動機能に直結している。それを経由せずに作戦行動は出来ないはずだ」
その通りだ。私も『彼女』も、基本的にはリミッタを無視した行動はとれない。その点だけは、設計者の意図が反映されている。
「……とにかく、今必要なのは、お前の行動データだ。次の実験で答えが出なければ、後継機の開発は凍結される」
「そうだろうな。 単独行動で制御不能になるような兵器など、何の役にも立たない」
アシュラムはその言葉に反応し、怒りの形相で私に向き直った。
「分かっているのか? クレイドルは、世界の脅威を武力をもって制する。そうしなければ戦禍は拡大し、いずれ人類は破滅の道に進む。そのためのお前だ。そのためのクレイドルなんだ。それなのに……アイツは……」
アシュラムは右手で胸元を鷲掴みし、消え入るように呪詛を吐いた。
「私を造った人物の思考は、トレース出来ない」
「お前にその答えを求めてなどいない!」
「分かっている。無駄だからな」
アシュラムは目を閉じ、「行くぞ」と、武装した人間たちを促し、部屋を去った。
私は 部屋に残され、再びロケットの写真に目を向けた。
奇妙な類似性。
アシュラムが持つ、別なロケット。
それには、誰の写真が嵌め込まれているのだろうか?
誰かに向け、微笑んでいるのだろうか?
——いや。
これを繰り返せば、単なる異常状態では済まなくなる。
私は思考を閉じ、休眠状態へ移行する準備を始めた。
余計な 機能を、手順に従い終了させる。
次の 戦場に送り出されるまでの、束の間の休息だ。
──休息だと?
私は自分の奇妙な思考を嗤った。
AIに休息など不要だからだ。
こうしている間にも、人間は戦闘行為を続け、お互いの命を奪い合っている。
何のために?
犠牲の上に成り立つ社会に、何の意味がある?
私には理解出来ない。
──思考停止。
──省電力モード設定正常。
『識別コードA0221。機体名、アヤ。スリープモードへ移行』
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