1章

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 秋風の香る参道、馨は訪問着である対の長着に襦袢という出で立ちで道を急ぐ。  時代は大正から移り変わった昭和初期、舗装されたばかりの道を行く人々も着物姿は珍しくはない。  ただ馨程にしんなりと粋に着こなす者も少ない。歩くだけですれ違う人が振り返える。その姿を遠巻きに眺めながら細見は顎に手を当て満足そうにニンマリ笑う。  実に細見の好みだ。  細面の小さな輪郭に浮かぶ大きな目に慎ましい唇、ほっそりと伸びた首からなだらかな肩の線、周囲の視線を一身に浴びる美丈夫が真っ直ぐ自分のところに歩いてくる様に誇らしささえ感じる。 「ごめんなさい、お待ちになりました?」  年は既に三十を越すが、若々しさは失われていない馨は細見を見上げて微笑む。風で乱れた髪を手櫛で直しながら。 「いいや、僕も今来たところだ。それより稽古はいいのかい?」  今、最も最先端の流行りである英国風のスーツに身を包む細見は自分から馨の腰に手を回す。  必ずこうして柔らかい物腰でエスコートをする場合は細見の寵愛を意味した。日本屈指の貿易会社を営む細見の全面的な関心はこの麗しい和装の役者へ注がれている。 「ええ、大丈夫です。今日はもう終わりましたから」  馨も違和感なく細見のエスコートを受けて歩き出す。  革でしつらえた靴でその長い脚を存分に活かし大股で進む細見と相反して馨は少し内股で小さく歩幅を取ってゆく。  擦り足の歩き方は舞踊を嗜む者の特徴でもある。着物の裾はひるがえることがなく、時折、内に着た白い襦袢が見え隠れする程度。その肌襦袢は何とも鮮やかな浅黄色の長着に合わせてしっくりくる白である。 「今日はどこへ連れて行くおつもりですか?」  悪戯に馨は下から細見を覗き込む。このところ二人で出掛けるのはしょっちゅうの事で、ひたすらに細見が馨を連れまわすのが定番であった。 「はは、僕とじゃ気が進まないかい?」  これは流石に細見も牽制かと身構える。
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