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「そりゃあいい。お前の気遣い精神なんざどうでもいいが、お前の手を待ってる間の退屈しのぎにはなりそうだ」
パチリ、と男が最初の一手を打つ。白が一枚裏返った。
頼む間もなく、男が勝手に喋りだす。
「俺たちは、お前も含めてだが、あいつについて話をしてたのさ。おっと、あいつが誰か、なんて質問はするなよ。あいつはあいつ以外の何者でもないし、俺もこいつもその呼び方しか知らないんだからな」
再び男が僕の思考を見透かした。思わず出そうになった言葉を飲み込む。
「彼は器用な人だったね」
パチリ、と女性が次の一手を打つ。黒が白に裏返る。
「狡いと言った方が適切じゃあないか?」
「君はいつもそうだな。全部悪い方へ曲解する」
呆れた様子で女性が本に手を伸ばす。
「当たり前だろう。俺はそういうものとして生まれたんだから。お前が誰にでも等しく優しく、馬鹿みたいに気遣いをするのと同じことだ」
「まあ、そうなんだけれどね。こういうところじゃなくちゃあ、ちょっとひねたことも私は言えない。私たちは徹頭徹尾そういうふうにできている」
それを聞くと、男はフンと鼻を鳴らしマフィンを一口で頬張ると、紅茶で一気に流し込んだ。薄茶色の雫が、白磁に咲く紫陽花の青紫の上を滑っていった。
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